■なぜ母親に言い出せないのか?

※これは、私たち、スピリチュアル夫婦が、一緒に考えた小説です。

スピリチュアルに目覚めたキャリア女子が、
ブラック企業を辞めて、
どうやって生きるのか?
彼女の人生はどうなるのか?



仕事を辞めたこと、
次の仕事は決まっていないこと、
実家で暮らしたいこと。

そんなことを母親になかなか切り出せなかった。

「やっぱり、あなたはダメね」と自分を否定されるのが怖かった。実家に戻ってくるのも、おそらく反対されるだろう。

「三九にもなって結婚していない娘なんて、恥ずかしくてしょうがないわよ。この町じゃ生きていけないわよ」
そんなふうに言われるに決まっている。

そして、弟と比較されるのだ。

弟は中学で英語の先生をしている。三つ年下の可愛い数学教師と婚約していた。

名前は絵里と言った。軽い拒食症で骨と皮みたいなほっそりとした体つきをしていた。その細身の体が、黒い喪服に包まれると妖艶な匂いをかもしだすのだ。

通夜振る舞いのとき。
「絵里さん、これ、お願い」
母は、ビールの空き瓶やら、空いた皿やらを、絵里さんに運ばせた。そんなひ弱な体でウチの嫁が務まるわけがない、とでもいうような態度だった。

「お母さん、絵里は、まだ、ウチの嫁じゃないんだから」
と弟が助け舟を出すが、母は、おかまいなく絵里さんをこき使う。

「マナブさん。私なら大丈夫よ」
絵里さんは、悲しげな笑みを浮かべて空き皿を盆にのせて厨房へ下がる。

母親に自分のことを切り出すチャンスはなかった。葬儀が全部終わってから言うしかないだろう。

しかし、自分のなかに、一人暮らしを続けるという選択肢が残っていることも確かだった。母親や弟たちと一緒に実家で暮らすというのは、少し気が滅入る。




魂は常に束縛に反抗するようものだ。



実家で暮らすということは、自由ではなくなることを意味していた。


お金のために自由を犠牲にできるだろうか?

たしかに、実家で暮らせば家賃も食費もかからない。失業しても気楽に生きていけるし、次の仕事を探すにしても焦ることはなくなる。いいことだらけだ。しかし、自由さは、ある程度制限される。


そもそも嫌な人たちと四六時中一緒にいることになる。血がつながっている家族だが、あの母親は嫌いだ。

小さいころから弟と比較され、勉強もお稽古ごとも、すべて私よりもできた弟が、私には疎ましい存在だった。あの二人と一緒に暮らすことをイメージしただけで、息苦しくなる。

弟の婚約者の絵里さんは未知数だ。まだ、どんな人間なのかわからない。拒食症になるくらいだから何か大きな闇を抱えているのかもしれない。


父が突然死してしまったので、当分、結婚式はあげられないが、年が明けたら一緒に住むという話をしていた。

私は通夜振る舞いの二階の部屋から一階に降りた。告別式の式場には、祭壇が飾られ、仏花があふれていt。花につけられた名前札の文字を一つ一つ見て回る。線香の匂いが充満していた。


薄暗い部屋に、祭壇のところだけ明かりがついている。父の遺体が入った棺桶が不気味に光って見えた。


父の魂はすでに、ここにはいない。水が空気に変わるように、形を変えてどこかをさまよっているはずだ。


私は棺桶の小窓を開けて父の死に顔を眺めた。白く化粧がしてあった。いまにも起き出してきそうだった。

死は、決して悲しいことではない。悲しいとか、悲しくないとか、それは人間が勝手に決めたことであって、創造主は人間の肉体や物質など、すべてのものを変化するように作っただけだ。


その変化を悲しいととらえるか、喜びととらえるか、それだけだ。

お父さんが死んだんだなぁ、と思った。冷静に落ち着いた気持ちでそう思った。

通夜の客が帰り、母も家へ帰っていった。絵里さんも、帰っていった。弟が葬儀場に泊まって線香の番をすることになった。

私は、どうしたものか困惑した。実家に帰って、母と二人きりになるのは気が重かった。告別式を明日に控えたときに、私が仕事を辞めたこととか、実家に戻ってくることなどを切り出すにもどうかと思った。タイミングが悪い。


弟は、布団を敷いた横の座テーブルでビールを飲んでいた。アタリメを口にくわえて

「姉ちゃんも、どう? 一杯やろうよ」と誘ってくれた。

「姉ちゃん、雰囲気、変わったよね」

「そう?」
私はグラスを両手で持って、弟のビールを受けた。

「スッキリしてるよ。どこか晴れ晴れとしてるしね。もしかして、会社、辞めた?」

「どうして?」

「前々から、残業が多くて体がもたないって言ってたから」

「うん。図星よ」

「次の会社、決まってるの?」

「私、もう、三九だからね。なかなか・・・」

「どうすんの?」

弟は、ビールを飲み干して、また、グラスに注いだ。私のグラスにもビールを入れる。

私は、そこで、「しばらく実家で暮らそうと思ってる」とは、言えなかった。弟は嫌な顔をするだろうと思ったからだ。婚約者の絵里さんがやってくるわけだし、今後は子どもも生まれるだろう。そこに小姑の私がいると、絵里さんの負担が大きくなる。

「で、何で辞めちゃったの?」

「魂が辞めろって言うから」
弟は、ブッとビールを吹き出した。

「嘘だろ」
弟は私の顔をマジマジと見つめる。

「お姉ちゃん、やっぱ、変わったわ・・・オレ、もう、寝る」

弟は、そう言って、布団に潜り込んだ。
私も、そこに布団を敷いて寝た。