志村けんの影響力〜国、世代を超えた東村山のスーパースター〜 | 珈琲 たいむす

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この世紀末の雰囲気、もう笑うしかない。



今日、志村けんさんの追悼番組が放送された。

やっぱり、間だとかテンポだとか、
すごいと思った。


練り上げた台本と
パン、パパン! 
 とリズミカルな直感が光るコント。




インタビューで、コントは何度も考えて、見返して作っていると
言っていたが、思わず 笑い声を上げてしまった。
その自分の笑い声で その凄さを再確認した。









知らなかったが台湾でも、"志村けん"は

有名人だったらしい。

カトちゃんけんちゃんのごきげんTVや
バカ殿様は
台湾でも放送されていたらしいのだ。

はじめて、知った……


台湾の街頭インタビューでは、たくさんの人が
思い出を語っており、
Twitterでは、トレンド1位になったという

日本の宝だとは思っていたが、
海外にも志村けんを知ってる人々が多いことに、驚いた。


日本人だと分かると「なんだちみは?!」
と変なおじさんの真似でコミュニケーションを
してくる人もいるくらい
広く知られているらしい。。


その知名度の高さから日本アジア航空のイメージキャラクターに金城武とともに抜擢されていました。





 
楽しそう、、いい笑顔するんだよなぁ…






台湾のトップ 蔡英文 さんも
志村さんへのメッセージを日本語で出している。










日本でも、もちろん
志村けんで育った人がたくさんいて、
各々にその思い出がある。


「ドリフターズみてた」

「カトちゃんけんちゃん 観てた」

「だいじょうぶだ 」

「バカ殿」

多くの人が志村けんをみていた。





そして、これは私的に驚いたのだが、
志村動物園で育った」
というジェネレーションがいることだ


「小さい時、家族でみて笑ってた」
という子がいたのだ。


あぁ、そうか。
コントしか考えてなかったが、
一般的なバラエティ番組もやっていたのだ


志村動物園なんて 最近だよ…ていう感覚の人も
多いと思うが

もう、1人の子が大人になるくらい
続いてるということだ。





さらに、近年では
深夜枠で 志村でナイト。
名前を変えながら、こちらも
長く観させてもらった。
コントはもちろん、フリートークも好きだったな。。
素の志村さんが見れるのは、嬉しかった。








有名人は、ふつう支持層たる世代があるものだが
志村けんは、ほぼ全世代を網羅、席巻していたのだ。

とても稀有な存在だったんだなぁ……
と思った。




だからなのか、
志村けんのコントをみると、そのときどきの自分の記憶が想起されるのだ。

とくに、子どもだった頃の記憶が昨日のことのように思い出される。




あ〜土曜日に カトちゃんけんちゃん見てたなぁー…  休みの前の日だから 
すごいウキウキした気分だったな… とか

だいじょうぶだぁのメダルゲーム
やってたなー…とか

バカ殿とか変なおじさんが 少しエッチなこと
すると、家族の空気が変になったなぁー…とか


ぜんぶ、自分の記憶と絡まって思い出される。





音楽や嗅覚が、その記憶を呼び起こすのと
同じで
志村けんのコントは、人々の思い出とともにあるのだ。




メダルゲーム ルーレットマンて名前だった!↓



だから、街頭インタビューで志村けんについて、訊いているのに
「あの頃は……」と自分の話をするのだ






みんな、自分と志村を重ねてるのだ。

亡くなっても、記憶があれば生き続けるというが
これだけ、人々の人生に絡まってるのだから
記憶から消えるはずがないだろう。









単なるコメディアンの枠を超えた、その存在は
ほんとうに愛されるべきものだった。

志村けんさん、笑いを、思い出をありがとうござました。
あなたのことは忘れません。


















あの頃は……と言えば、和田アキコさんからも
コメントがあった。
「ボーヤだった頃、よく缶コーヒーを買ってあげると嬉しそうにしていた」というエピソードを話していたが
間柄が甲斐見えてあたたかった。
和田アキコのほうが年上なのは意外だったけど、国民からだけでなく、仲間からも愛されてたのですね
今日の加藤茶さんや高木ブーさんからのメッセージも
戦友というか、なんかすごい凝縮したものがあった気がした。親でも、家族でも、友達でもない、仕事だけでもない不思議な絆…… 
ぐっとくるものがありました。






追記
4月3日にも志村けんさん
みれます