2021.3.12
海贈.vol1 in 閖上メモリアルパーク(宮城県名取市閖上)
東日本大震災から丸10年。
節目と言って良いのか、それとも他に適切な言葉があるのか、自分にはわからない。
それでも確実に10年という時が経った。
心の友である渋谷のアッ君を発起人として海贈というマツリが立ち上がった。
色んな想いがあるのは重々承知の上で、哀しみを分かち合うのはもちろんの事、陽のエネルギーを被災地に、被災者に、何より一番は御霊に届けたい、その一心から全てはスタートしました。
全てがスタートしたのは2月の末、3月11日まで14日しかないという、事を為すには絶望的な準備期間でした。
そこから当日までは本当に怒涛の日々でした。
毎日準備に奔走し、打ち合わせを重ね、状況が二転三転する中で修正を重ね、2週間という時間は一瞬で過ぎ去りました。
それでも現地の方々の協力や、仲間達の協力のお陰様で何とか開催をする事が出来ました。
現地には3月11日の朝に入り、追悼式典に参加する所から始まりました。
2016年から毎年3月11日はチャリティーイベントをやってきたけど、3月11日という日を被災地で過ごすのは初めての経験でした。
平日にも関わらず、式典には多くの参列者の方が来ていて、駐車場の車を見ると全国各地のナンバーがありました。
14:46。
荒々しく唸るようなサイレンが鳴り響き、黙祷と共に式典がスタートしました。
サイレンの音と共に、周りからのすすり泣く音と沈黙が混ざり合い、どう表現したら良いか分からない気持ちになりました。
今までも被災地には何度も赴き、その現状を見て、話を聞いて、それでも哀しみに暮れる陰のエネルギーだけではダメだと思い、今回は陽のエネルギーを届けたいと思って来てみたものの、
陽のエネルギーなんて言ってた自分がなんてちっぽけな人間なんだろうと感じました。
そして、色んな感情が渦巻いて、自分でも訳が分からない感情になっていました。
被災者や犠牲者の方々の哀しみや苦しみを本当の意味で分かる事は出来ない、それでも分かろうとする事、そして分かち合おうとする事は出来るんじゃないか。
そして何より自分に出来る事で、音楽で何か出来る事はあるんじゃないか、色んな気持ちを彷徨いながら一周して、今回の原点の想いに帰ってきました。
被災していない遠く離れた場所に住んでいる自分でも訳が分からなくなるくらい、大きな出来事、
現地の方々の想いは本当に計り知れない。
3月12日海贈当日。
朝から準備に追われていた。
少ない人数で、そして手弁当で開催するマツリ。
人出が圧倒的に足りない中での開催だったので、休憩する間も無く、目が回るくらい動き回った。
音響を整え、照明を整え、装飾を整え、演奏意外に多くの役割を担わせてもらった。
準備が終わる頃には、もう身体も頭もヘトヘトだった。
ご飯を食べる間も無く、マツリはスタート。
そんな中、仲間の演奏を聴いて、涙が止まらなくなった。
短い準備期間に、そして最後の最後まで開催出来るのか分からない状況の変化。
それでも目の前で、御霊に本気で向き合って演奏している仲間の姿に、ありがとうの気持ちと共に心が動いていた。
終わってもないのに、やってきて良かったと思えた。
そんな気持ちを胸に、時間は過ぎていき、あれよあれよのうちに、自分の出番が近いてきた。
慰霊碑と近くの氏神様にご挨拶を済ませ、心を落ち着かせて演奏を迎えました。
演奏中はとにかく全身全霊で表現する事に集中していました。
演奏中に、この音を天まで届けたい、そんな言葉が降りてきました。
最後の曲のクライマックス、ブレイクで止まった瞬間、自然と叫んでいました。
「天まで届け」
その瞬間、一瞬記憶が飛んで、気づいたら自分でも訳の分からない曲を演奏をしていました。
訳の分からないまま、最後の演奏を終えました。
ここで演奏をさせてもらえた事に対する感謝と共に、立ち上がった瞬間、涙が溢れて止まらなくなった。
その涙が感謝なのか、哀しみなのか、喜びなのか、悔しさなのか、今思い返しても全くわからない。
それでもただただ涙が止まらなくて、止まらなくて、止めたくても、止まらなくて、どうしたらいいかわからなかった。
訳の分からない涙がようやく止まった後、不思議と心と身体はスッキリしてました。
その後の進行は滞りなく進み、大きなトラブルや事故も無く、無事にマツリを終える事が出来ました。
そして無事に終えれた事に安堵すると共に、やって良かったと言う気持ちにもなったけど、
やっぱり素直に喜べる気持ちにはなれませんでした。
マツリ後は地元の方のご好意もあって、地元のお店で細やかな打ち上げがありました。
発起した日から当日まで、全力で駆け抜けた2週間。
何事もなく無事に終えれたのに、やり切れたのに、打ち上げもどこか晴れやかな気持ちではいられませんでした。
まだ、苦しんでる人や、辛い想いをしてる人がいるのを考えると、複雑な気持ちが渦巻いてました。
打ち上げのお店をでて、夜空を見てたら、また涙が止まらなくなって、
打ち上げが終わって、ホテルに戻ってお風呂に入ってる時も涙が止まらなくなって、
なんでこんなに涙が出るんだとパニックになるくらい、涙が止まらなかった。
2021年3月12日
たぶん産まれて、物心がついて、人生で一番泣いた日になりました。
何の涙かは、その時も、後から考えても全然分からない。
それでも本気で向き合ったからこそ、出た涙だと感じてます。
本当の事は誰にもわからないけど、
陽のエネルギーを天に届けられたと信じてます。
僕はこれからも、自分に出来る事を継続してやっていきます。
それぞれが自分に出来る事を全う出来ますように。
僕たちは時を超えて生きている。
〜〜〜Special Thanks〜〜〜
海贈に関わってくれた地元の皆様、本当にありがとうございました。
場所の申請や、人の紹介など、現地の方の協力なしでは為し得ませんでした。
さらには応援しに駆けつけてくれたり、差し入れをしてくれたり、はたまたお土産までくれる方もいました。
エネルギーを贈るはずが、逆に大きな大きなエネルギーをいただいてしまいました。
本当にありがとうございました。
海贈
発起人 : 渋谷のアッ君
現地コーディネート : ユキ姉さん
映像 : Sonoda Tetsuya
Yaginuma Ryota
チョードリー隼人
Yamanaka Masaki
演奏 : 眠れない大人達(現地アーティスト)
Shiki Violin
Horota Go
宝船
葛城京太郎
バケツドラマーMASA
生花 : Hagiwara Ryota
装飾 : ygg pranks
Bamboo Project Japan
照明 : ygg pranks
音響 : バケツドラマーMASA
ここには書き切れない、様々な人の協力があってこの海贈というマツリを行う事が出来ました。
心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
帰ってきて整理のつかない気持ちがずっと心に渦巻いていて、何も手につかなかったのですが、この文章を書いて、心の整理が出来てきました。
また明日から前に進んで行こうと思います。