盈徳郡が牧隠李 이색先生の業績を称えるために聖大山の頂上に建立した観魚台。
荘子と恵子はあまり仲がよくなかった。 事案と物事を見る見方が全く異なり、事あるごとに是非を論じた。 「張子の味方」に紹介される「皮の木」の話もそうだし、「朴氏」をめぐって行った論争でも二人の哲学者は子供のように争う。
代表的な論争が「魚の楽しみ」だ。 「秋水」編に出てくる。 長者とヘジャが湖の上の橋を歩きながら水中を泳ぐ魚を見た。
荘子が「魚が遊んでいるね。 あれが魚の楽しみだよ(魚之楽)」と話した。 そのまま見過ごせば、ヘジャではない。 長子にいつも叱られていたヘジャが直ちに言葉尻をつかんで反撃に出た。
「あなたは魚ではないのに、どうして魚の楽しさを知ることができるの?」
長子が再び反撃した 「あなたは私ではないのに、どうして魚の楽しさを知らないと言うのか」
韓半島の識者たちは、彼らが魚をめぐって繰り広げた論争を胸に長く盛り込んだ。 魚の楽しさを「安盆地族」の迷路と考え、魚弱燃費で自然の流れに沿って生きる人生を「幸せのアイコン」に決めた。 魚を眺めながら(慣用句)長者と慧子の境地に到達することを望み、その達観の境地で道を楽しんで平安を享受できることを願ったのだろう。
『春秋左氏伝』に記録されるほど、官衙の歴史は悠久である。 高麗時代に入って、官衙は貴族層の娯楽の一種になった。 「高麗史」世家には、礼宗が大同江に行って船に乗って魚を見物したと言い、牛王が雨と雹が降る日にもかかわらず魚を見て裸で水に入って漁をしたと記録している。
「クァンオ」は主に「台」につく名前だ。 「デ」は一般的に高いところから下を見下ろしながら観照する楼台を言ったり、絶壁岩を指すこともある。 渓谷の平らな岩を指すこともある。 建築物としては忠清北道永同の観魚台が代表的で、高い絶壁の上の岩を名乗るところは義城安渓面校村里の観魚台と旌善の観魚台、寧海槐市2里の上大山観魚台が代表的だ。 懐斎イ·オンジョクは慶州の安江に独楽堂を建てながら周辺の4つの山と5つの岩を結んで「四山五台」と名付けたが、その岩の一つが魚が飛び回る渓谷にある「観魚台」だ。
上代山は朝鮮初期の城隍堂山と呼ばれた。 寧海府の史録に来たウ·タクという人が盈徳郡蒼水面仁良里で駿東していた八霊神を捕まえて東海に落として殺したという説話があるが、彼らを祭祀していた城隍祠が山の下にあったためだ。 上台山は山の名前自体を観魚台と呼んだり、山と槐山2里全体を観魚台と呼んだりもした。 「大東輿地図」を作ったキム·ジョンホは色々な地図で一貫して上台山を観御台と書いている。
昔の大人たちが数百年間「クァンオデ」と呼んでいた本当のクァンオデは、山頂から西に100mほど離れた絶壁だ。 絶壁の下の松川が上台山をベルトのように包み込んで流れ、大川海水浴場に流れ込む風景が壮観だ。 海はまぶしいほど青い藍色だが、波打つ音が山頂まで爽やかに聞こえてくる。 北には蔚珍の厚浦、南には浦項のホミ岬が、西には柄谷平野と盈徳邑内が一望できる。 海と川、平野と山、人が暮らす都心までパノラマで広がる壮観を観魚台で繰り広げられる。
盈徳郡寧海邑槐市2里のある観魚台は、海抜183mの上台山の頂上にある。 浦項側から寧海邑に入った後、寧海市場を過ぎてテジン教会で足を止めれば良い。 テジン教会の向かい側にある竹林を分けて進入路を作った。 山道に入る登山路の始まりだ。 平凡な山道だ。 20分ほど歩いて頂上に着く。
大韓民国の随所に散在している観魚台とはスケールが違う。 海抜183メートルの山でクジラを見た話を詩に盛り込んだ。 クォン·サンギルは、観魚台に上がって眩しい景観12個を選定し、詩で詠んだ。 赤い岩は「段丘岩」で白鷺が飛び回る島は「白鴎島」で龍頭峰に沈む太陽を見ながら「龍頭落照」と名付けた。
コレブル海水浴場の沖合は、クジラが遊び回っていたところだという。 クォン·サンギルは、「観魚台でクジラを見たのだろうか? 彼は、「観魚台で見た12景のうちの一つに、長景粉雪(大きな鯨が目を噴き出す)」という詩を書いた。















