朝鮮王朝 22代 正祖 ~ 思悼世子 サドセジャ ~ 隆陵 ~ | みょんじゃさんのブログ

みょんじゃさんのブログ

歴史オタク韓国中を旅しています。

https://youtube.com/shorts/1yaFANWpO8U?si=mDVvNyUIEIWptpwT


永陵(追尊:真宗と孝順皇后)

隆陵 追尊·荘祖と献敬王后の陵 

荘祖(1735~1762、 思悼世子)は、 朝鮮王朝第21代王·英祖の第二王子であり 第22代王·正祖の父である。 幼い時から聡明で書道と武道にも優れた才能を発 揮したが、 英祖に代わり政務を行うようになってから老論派と対立 羅景彦の計 略により米櫃に閉じ込められ、 結局は米櫃に閉じ込められ非業の死を遂げた。 1762年、 英祖は28歳の若さでこの世を去った息子の死を悼み 「思悼」の諡号 を下賜した。 その後、 思悼世子の子·正祖が王に即位し、 尊号を「荘献」に改め、 1899年(光武3年)、 「荘祖」と追尊された。 献敬王后(1735~1815、 恵慶宮洪氏)は永豊府院君·洪鳳漢の娘で、 1774年(英 祖20年)王世子嬪に冊封された。 思悼世子の薨去後、 嬪号を「恵嬪」に、 正祖の 即位後は宮号を「恵慶」に格下げされた。 回顧録として執筆された『恨(閑)中録』は、 宮中文学の最高峰と評価されている。 1899年(光武3年)、 思悼世子が荘祖と追 尊後、献敬王后と追尊された。







Yeongneung (Tomb of Honorary Emperor Jinjong and Honorary Empress Hyosun)

英陵は皇帝に追尊された真宗(1719〜1728)と孝純皇后(趙氏)
皇后趙氏(1715〜1751年)の墓である。
眞宗は英祖の息子で、最初は敬義君に封じられ、1725年に
英祖1年に王世子として冊封された。 

 

20241225撮影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、3年後には10歳の幼い年齢でこの世を去った。 

英祖は王世子に孝章世主という号を授け、ここに墓を築いた。 

 

その後、英祖の命により異母兄弟の荘祖と、思悼世子の息子である正祖が養子縁組された。 

1776年正祖即位の年、真宗治として、1908年、隆熙2年に真宗昭皇帝として追尊された。
効順皇后は1727年、英祖3年に王世子妃に任命されたが翌年、夫が亡くなると王妃にはなれなかった。

 

その後ヒョンビンは熊に封じられた後、1751年(英祖27年)に37歳で亡くなった。
正祖が王位に就いた後、孝純王后となり、1908年、隆熙2年孝純昭皇后として追尊された。
英陵には二つの碑閣に三基の標石が残っている。 これは真宗が王や皇帝として追尊されるたびに、標石を新たに立てた
だからだ。第一は孝章世子墓、第二は真宗大王英陵、三番目は真宗昭皇帝の英陵の標石である。
1 追編集 : 世を去った後の身分などを高める

 



永陵 (추존 진종과 효순황후)
Yeongneung (Tomb of Honorary Emperor Jinjong and Honorary Empress Hyosun)

영릉은 황제로 추존된 진종眞宗 : 1719~1728과 효순황후 조씨孝純
皇后 趙氏:1715~1751의 능이다.
진종은 영조의 아들로, 처음 경의군敬義君에 봉해졌다가 1725년
영조 1년 왕세자로 책봉되었다. 그러나 3년 뒤 10세의 어린
나이로 세상을 떠났다. 영조는 왕세자에게 효장세자孝章世주라는
시호를 내렸고, 이곳에 묘를 조성하였다. 이후 영조의 명으로
이복동생 장조莊祖, 사도세자의 아들 정조가 입양되었다. 1776
년정조 즉위년 진종치宗으로, 1908년융희 2년 진종소황제眞宗昭皇帝로
추존)되었다.
효순황후는 1727년영조 3년 왕세자빈으로 책봉되었으나
이듬해 남편이 세상을 떠나자 왕비가 되지 못하였다. 이후
현빈暨熊에 봉해진 후, 1751년영조 27년 37세로 세상을 떠났다.
정조가 왕위에 오른 후 효순왕후孝純王后로, 1908년융희 2년
효순소황 후孝純昭皇后로 추존되었다.
영릉에는 두 비각에 세 기의 표석)石이 남아있다. 이는
진종이 왕과 황제로 추존될 때마다 표석을 새로 세웠기
때문이다. 첫 번째는 효장세자묘, 두 번째는 진종대왕
영릉, 세 번째는 진종소황제 영릉의 표석이다.
1 추존追辑 : 세상을 떠난 후 신분 등을 높임