朴述熙と王式廉の後押しで堯は第3代王に。
朴述熙は太祖王建が下した「訓要十条」を守るために、若干の私兵を率いていましたが、それを定宗が疑心を抱き、を流摘することに。
王の命を受けた朴述熙は、国王の命令に逆らうことはできず、彼は流謫の地である甲串(現在の江華島)へ向かう。
一方、王規は定宗の命を受け鼻で笑った。
「私を島流し? 王の座についたからといって、そんなことを言うのか」
王規は私兵を使い家を鉄のように固め、守らせた。王規のそんな行動を見て定宗は内心では怯えていた。
先の国王の恵宗を2度にわたって殺そうとした王規。
定宗はひそかに西京へ人を遣り、王式廉をまた呼ぶ。
王式廉は1万の軍隊を率いて開京に入ってくると、王規は恐れ、慌てふためいた。
300にも満たない自分の私兵ではとうてい、立ち向かうことができなかった。
王規は歯ぎしりしながら、仕方なく、流謫の地である甲串に向かった。
「朴述熙さえいなかったら、広州院君を国座につけたのに⋯⋯⋯。あやつをこのままにしてはおけない!」
王規は甲串に到着するとすぐ、2名の刺客を送り、朴述熙を殺害した。
一方、朝廷では「早く朴述熙を島流しの刑から解き、王規の首を斬るのだ」
定宗の命を受けた兵士が甲串に辿りついた時には、朴述熙はすでに王規の刺客によってもうこの世の人ではありませんでした。
定宗はその知らせを聞いて溜め息をつきました。
「予の不徳のせいで、忠臣を一人惜しくも失ってしまった」
朝廷ではいましも貴族たちが王子を前にたてて、王位を狙っていました。
定宗には、信じるに足る人物として、王式廉将軍しかいませんでした。
「王式廉将軍の根拠地である西京(現在の平壌)に遷都しなければならない」
このような決心をした定宗は王式廉を王宮に呼びました。
都をどうしても西京に移さなければならない。ひとつ、卿が王宮を築く仕事を監督してくれないか」
都を移すということは、たやすいことではない。
今の都である開京に代々領地を占めて住んでいる貴族たちの反発するだろうし
新しい王宮を築くのに動員される西京の人々も、大きな不満をもつことは確かだった。
とはいえ、国王の命令には誰も逆らうことはできず王宮を建てる工事が始まった。
しかし、不満だらけの開京の人々は、ろくに働かず、ただ月日のたつのをじっと待っていた。
そうこうするうちに、王式廉が世を去ることに・・・
そして、2か月後に定宗もまた突然、崩御した。
そうして遷都計画は流れたが、西京(現在の平壌)では都移転のため王宮建立の工事が急ピッチですすんでいたのだった。






