宮古道の駅 シートピアなあどの
海鮮かき揚げ丼。
ウニ猫の海苔が可愛いでしょう。
母との日々
母は、ここ一年、何度も危篤状態になりました。
その度に宮古まで車を飛ばしました。
もう何が起きても不思議じゃない、と施設の方に言われました。
葬儀社の心積もりもしておいてくださいと。
その危篤状態のたびに、
末の弟が神奈川から来て、「炭坑節」を歌い、
ベッドの周りで踊るのです。
「お母ちゃん、お母ちゃん!」と手を振り、大声で歌いまくる・・・
施設の方もきっと驚いたでしょう。
そして驚くことに、
歌を聞いて目を開けた母の目に光が宿り、弟を目で追い、笑顔になるのです。
それで何度蘇ったことか・・・
「蘇生師」と私らは弟のことを呼んでました。
兄弟の中で一番可愛がった末息子です。
何度も「炭坑節」で蘇った母も、ついに力尽きたのでした。
私たちも、もう覚悟はしていました。
明け方4時半ですから、神奈川からは弟も
もう間に合いませんでした。
特養施設には8年間もお世話になりました。
スタッフの皆さんからも母は愛されていました。
最後は、玄関で大勢の方々が深々と頭を下げ見送ってくれました。
