国立劇場、古典芸能関係者は銀座一丁目に学ばず
東京三宅坂(隼町)の国立劇場の建て替えプロジェクトが遅々として進んでいないようです国立演芸場でこの時期やってきた三遊亭小遊三を主任(トリ)にした「定席」寄席興行が場所を紀尾井ホールに場所を移して開催されているようですが昨年 国立演芸場で開催された時と比べて出演者数(組数)がすごく少ない 貧相おまけに落語芸術協会には 魅力ある真打ちがいるにもかかわらず 二ツ目さんが抜擢起用興行みたいに目立ちすぎ国立演芸場のように 空席があれば仲入り後には木戸銭が割引になる なんてことはできそうもない紀尾井ホール/小ホールのキャパや楽屋スペースなんかと関係あるのかもしれませんが イマイチ行く気になりません当初から僕が違和感を感じているのは 建て替え後の国立劇場にはホテルを併設するという部分かつて銀座一丁目にはテアトル東京という 70mmシネラマの巨大スクリーンの映画館がありました一流ロードショー館(東宝洋画系)閉館後 その敷地はホテル西洋銀座 演劇の劇場映画のミニシアター レストランや料亭も入るなんともハイソな銀座のイメージを壊さないコンプレックスを成していましたが いつの間にかなくなってしまいました国立劇場関係者は 銀座一丁目の悲劇というか結果 忌み地となったとも言えそうな悲劇をご存知ないのだろうか国立劇場がある場所は 地下鉄半蔵門線の半蔵門駅ができてからアクセスが向上したとはいえ やはり国立劇場という演劇 芸能などの公演がなければ行かない場所だったお金がある時は 東京駅からタクシーに乗ったほうが本当にラクだった歌舞伎座がある東銀座(木挽町)も銀座のはじっこと言えばそうですが 銀座とはいえ銀座一丁目もはじっこ腐っても銀座のうち なんて言ったら叱られそうだがそんな銀座の一等地のようなイメージの場所柄でもホテルなどとの複合施設経営は失敗しているのですテアトル東京と歌舞伎座の共通点は 分かりやすい専門性洋画の大作・話題作を70mmプリントで大画面で上映する映画館 もうひとつは 松竹大歌舞伎を毎月上演ホテルなどの付帯施設はありません詳しくは知りませんが 国立劇場が建て替え後にはホテルを併設して…というのは 民間の資本を軸にするためのものだったように思えますが それがまた足枷になってしまい建て替えプロジェクトの工事事業者を公募しても どこも手を挙げない だったら国が援助しろと 信じられないカオスになったでも 危機感を抱いているのは舞台に出演する側だけのようだ今のところ「コクリツ切れてきたぁ」というファンの話は聞かない文楽関係者にとってみれば 東京での活動拠点が奪われたのだからたまらないでしょうでも 歌舞伎ファンからしてみれば 一部の公演(菊五郎劇団など)以外松竹に意地悪されているとしか思えないほど 役者がそろわなかったりしていたので あってもなくても構わない存在と化していました一部の歌舞伎演目の源流探しにもってこいの文楽公演のほうが魅力がありました もっとも入場料もどんどん高騰でお得感がなくなり 重宝されるというほどではありませんでしたかつて国立劇場は 戦後の名優が所属する会社の垣根を超えて共演できる贅沢な劇場でした(高麗屋と播磨屋一門が東宝所属だった)そして北條秀司や三島由紀夫ら一流の劇作家が新作歌舞伎を書き下ろして上演されていた夢のような劇場だったのです中村歌右衛門 尾上梅幸 尾上松緑(ニ代目)も活躍した舞台があったそれが平成・令和と 自らの価値を貶めるようなことをしてきて今さら日本の古典芸能の拠点だなんて 恥ずかしいかつては松竹が主体となって 米国ニューヨーク市にあるカーネギー・ホールへ歌舞伎公演を持っていたっりしていたもの中村歌右衛門 中村勘三郎(十七代目)市川海老蔵(十二代目團十郎)坂東玉三郎などを連れて国立劇場がそのような海外公演を主催したことがあるのでしょうか?日本国の文化交流プログラムとして コロナ禍前は 文楽のほうが海外公演に積極だった印象現在 海外でぶっちぎりの人気を誇る日本のコンテンツはアニメアニメというジャンルはものすごい勢いで海外でも支持を得ていると同時に 付随する主題歌などを輸出する媒体となっているからこそYOASOBIの「アイドル」が絶大なる人気を誇っているだけでなく音楽のプロからも尊敬されたりしていることは 英語さえ分かればYouTubeの動画で確認できますなんなら建て替えプロジェクトを走らせる前に 歌舞伎や研修制度をテーマにしたアニメ作品の制作でもしておけば歌舞伎研修生は1人 文楽の研修生は0人なんて悲劇は避けられたのかもしれない餅は餅屋 でしょ と言いたい気もしますが 何よりも国立劇場のある場所が「忌み地」のようになってしまっている上に銀座一丁目の悲劇を繰り返そうとしているかのような愚行はやめておきなさい という天の声に耳を貸すべき時でしょ国立劇場の始まらない建て替えプロジェクトについて危機感を国にぶつけないで 自分達でなんとかしようという危機感が必要古典芸能・伝統芸能で地位がある人たちだけが横並びで我々こそが日本文化の担い手である と構えても古典芸能なんかあってもなくてもいい大多数の日本人は自国の文化がそういう芸能だけのような物言いに賛同はしません映画を観る場所が映画館からシネコンになったように時代に即した形が求められているだけ迎賓館でも 外交の拠点でもないのに日本の文化を象徴するような箱物行政を求めるのは時代に即していません