こんばんは。
今日は小学校と中学校を梯子し、授業を見てきました。ぶっちです。
とても勉強になりました。
さて、今回はそんな中学校での授業のお話。
今日、中学校では「家族と地域との関わり」という授業を見てきました。
流石にその中学校のベテランの先生がやっているだけあって、授業もスムーズに進み、心底「すごい!!」と思いました。
しかし、ぶっちにとって気になることが一つ。
授業はまず、「自分と地域の人たちとの関係」で始まったんですが、授業の終わりで感想としてある生徒が「家族は社会で最小の単位であるので、~。」と発言し、授業をした先生もそれを「私も感動するような良い意見(=⌒▽⌒=)」と評価していて、そんな風にまとめていました。
確かに教科書には「社会生活の上での最小単位は家族」と書かれているものもあるし、社会制度のほとんどは世帯や家族を単位として構想されています。
でも、個人は何処にあるんでしょうか?
ぶっちは家族の前に個人というものがあると思います。
家族を最小単位として考えると、「家族のために」という名の下に個人の幸せが殺されてしまう可能性もあるわけです。
あ、もちろん「個人さえ幸せになればいい。」というわけじゃないです。
個人が幸せになる上で、どうやったら周りの人も幸せになるか?
家族はどうか?
友達は?
地域の人は?
…
という具合に、まず自分が「幸せになること」を考えて、徐々に「周りの人々もどうやったら幸せになるだろう?」と考えていけばいいとぶっちは思います。
で、こんなことを授業後の研究協議会(まぁ、授業の講評をする会です)で質問してみようと思っていました。
しかし、時間の都合で学生の質問時間は削られました…_| ̄|○
質問したいことも質問できず、フラストレーションが溜まる一方のぶっち…_| ̄|○
しかし、一緒に授業を見に行っていて、今日の授業をした先生の指導者として参加していた所属ゼミの先生が言った講評のまとめでそのフラストレーションは解消されました。
ゼミの先生はこんな感じのことを言いました。
「家族の前に個人があり、私たちはその個人が自分のために生き、幸せになるために生きています。でも、個人さえ幸せになればいいのではなく、自分と関係のある人(家族、地域の人々、友達とか)も含めて幸せになることを考えるのが福祉教育や家庭科の家族・家庭領域の意義の一つではないでしょうか?」と。
∑(゚Д゚)
…
…
…
エスパーだ!!
ゼミの先生にはぶっちの心が読めるんでしょうか?
「ゼミの先生スゲー(°∀°)b 」
これが今日授業を見に行って1番、心底すごいと思ったことです。
今考えてみると、毎日ゼミの先生は卒業研究や人生、家庭科の在り方について話してくれるので、ぶっちが考えていることが先生が考えていることと似ているのは何の不思議もないかも知れません。
でも、今日はゼミの先生はエスパーだと思いました(^∇^)