ソウルから戻ってきて約2週間。


4月なのにこの寒さ、ソウルも娘の話では寒いらしい。


日差しが強いよりはいいかな。




ソウルに行ってきて無理にでも動いて無理にでも神経使っていた。娘の横を離れてはいけないというから

ほとんど離れなかった。なにがどうなるか分からなかったから。


帰りの飛行機は全日空を片道で買ったつもりが、よくみていなかったせいかコードシェア便でアシアナ航空だった、、叫び



ほんとに嫌だなあと思いつつ仕方ない、これでも高かったんだから。それでも3月末まで帰りたかったのは

3月を最後で徳島に転勤するご夫婦に会いたかったから。


徳島なんて行ったことがない土地だな。車で行くにも高速使わないと10時間近くかかるらしい。

大阪や名古屋よりももっとその先。


笑顔の素敵なそのご夫婦には子供がまだいない。

だから子供がすきでかわいがっていたせいか、最後の日曜日は子供たちが教会に遅くまで残っていた。

この時間がまだ、過ぎてほしくなかったからだとおもう。


それは私もそう思っていた。

この自然に笑いあえる時間が、いつまでも続けばいいのにと。



そう、時間は砂時計のように過ぎていく。今も。



なんでこう、なんにもしたくないのかなあ。


頭の中ではあれこれ思い考えるが、実際にそれを行動にすることはしんどい。


無理に動くとやっぱりよくないし。



ほんとマジに帰りの飛行機がひさびさ怖くて、頓服のんでいたけどボヤんとしなくて

敏感なせいなのか、どうも韓国系の飛行機は上昇とか下降するときに暴走?する感じがあって

それが今回も上昇するときにうわっときて、

もう自分が飛行機の外のさきっぽにくっついているような映像と恐怖が沸き上がり、ううううううううううドクロ


死にそうになった、、、死ぬ、、そう思った矢先、右横にいた外国の大学生くらいの女の子が私に顔を向けて目を合わせてくれた。


その視線は ”大丈夫ですか?”と言ってくれていた。


そして固まっていて右の膝附を握りしめている私の手に、自らの手を重ねてくれていた。



上昇する間の何分か経って私が安定したころ、やっと私は彼女にお礼を言うことができた。



あー天使が助けを呼んでくれたんだ、と思った。マジで。



そんな大変な体験の中で、今度いつソウルに来るの?ってメールで聞いてくる知人がいる。

もちろん特に大きな意味はなく、気になってのことであるだろうけれど

その言葉さえ イらっドンッ   どうしてもそうなってしまう。


私がパニック障害とうつ病あるの知っててそういうんだよね。


いやもうしばらく、とにかくあの恐怖を少し薄れるくらいまでは乗りたくないし。。


飛行機代もLCC(激安航空券)の飛行機は乗れないし


どうしても3-4万円は出費が出るので、今はきついな。マジで。


早くいい知らせが出ないかなあ。