久しぶりの更新。
ここしばらく不安と幻聴などで生きている感じがなかった。今は少し、息ができる感じが戻ってきた。
自分のブログなので自由に書いてもいいのだが、書くという意欲さえなくしてしまうときは
ほとんど生きた心地がしていないと言ってもいいくらいだ。
先日の10日から急に子供たちが、父親の家に住むことになって気をもんだし、苦しかったし、どうしていいかもわからなかった。
息子が父親の仕事を手伝うにあたって、娘一人をソウルに置いておくわけは行かないと言ってなかば強制的に連れていかれたらしい。
猫のアラはかわいそうなことに、数日ひとりで過ごすことになり相当もめて、やっとのことで父親の家に連れてくることができたが、最初はネコはだめだから経営している工場に連れて行こうとかいう話になって、娘は果敢にも一人で対抗してくれた。
ネコは大事な家族なのに工場に放し飼いするなんてだめだ、そんなことするならパパとは暮らしたくないと。
その時の大人たちの反応に、娘は引いたそうだ。 ネコが家族?? 薄笑いするような、ばかにするような
雰囲気だったという。
父親と一緒に暮らす女性は犬も猫も飼っていたことがあるが、いつの間にかいなくなっていることが多かったらしく、何の理由かは分からないがとにかく簡単に動物を手放せる人たちであり、動物は動物としか考えていないようだった。
動物より人間のほうが大事だろうと考えるひともいるだろうが、でも少なくとも自主的に飼おうと思う人たちは動物を”動くモノ”のように考えてはいけないと思う。
人間とは違う生ける命のあるものであり、人間を喜ばしてくれたり慰めてくれる無償の愛を彼らから学ぶことができる。
アラが家でひとりで何の状況かも分からないで、息子と娘の帰りを待っていると思うと、居てもたってもいられなくて寝てもねむれず、夢の中でもさまよい
朝は起きると不安と緊張のなかでおののいていた。
娘は2日おきにこっそり家に帰り、餌とトイレをきれいにしにいって私に長いメッセージを送ってくれた。
ごめんっていわないでいいから。
ごめんっていわれても困るし。
アラのことは私が守るし、もしもパパがアラを追い出すようなことしたらパパと縁を切って出てくるから。
大事な家族だとおもってるから、ママも安心してよく食べてよく寝てほしい。
こんな勝手な急な決定は私は知らなかったし、そんなことになるんだったら
年明けから息子に父親の仕事をさせるようなことになるような橋渡しはしなかっただろう。
いつでもなんでもこの男は勝手に決めたり、話をせずに行動したり、一緒に行動してほしいときにしてくれなかったりした。
そんな過去の出来事も恨み言のように浮かんでは消えた。
あんな宗教での結婚をしてなければこんな人との出会いもなかったのにと、どんどん掘り起こしていった。
水中に引き込まれるように、思考の渦は私を飲み込んでは押し上げ飲み込んでは押し上げていた。
ある日、お祈りをしてくれる先生が言った。
過去のことは口に出さずに、今できる感謝の言葉を口にしなさいと。
どんなに重い現実でも、感謝の言葉や心は強い力になると。
そうだ、感謝することだ。
大変だったけどアラは今は娘の横で暮らしている、ありがたい。
アル中のある息子も仕事に忙しくてソウルにいるときよりは、お酒に近づけないだろう、ありがたい。
きっと今の子供たちに大事な時間になることだろう。
娘との会話で本当にいろんな人のことを考えられる子だなと思った。
お前と暮らすことはパパの生涯の夢だったんだ。そういわれたとき、後後になって自分はあの時そういわれたのにしてあげなかったと後悔するのが嫌だから、、、そう言ったのだ。
娘がおなかにいるときに、だれよりも人の痛みをわかる人になるようにと願ったことが
彼女のある部分の人格を作ったのかなあと思ったりした。