ヒプノセラピー(前世療法)
というものを初めて経験しました。
これを受けてみようと思ったのは、自分の中にある
インナーチャイルド
を癒したい、自分のルーツを知りたいと思ったからです。
私は少々変わった家庭に育ちました。
それに気づいたのは、もう大人になって、結婚してからです。
それまでは、それが
普通
だと思っていたから。。
他に比べるものもなかったから。。
家族
という小さな枠の、
家
という閉鎖された場所で、子供の私はとても非力だったから。。
私の父親は、とにかく自分の思い通りにならないと気の済まない人でした。
自分の意見が正しくて、それに異論を唱えようものなら、烈火のごとくヒステリックに怒り出しました。
私の覚えている父はいつも顔を真っ赤にして、鬼の形相で怒っていました。
両親は美容師で、自宅の一階が美容院になっていました。
父は店にお客さんがいても、気に入らないことがあれば、ヒステリックに怒りました。
今でも覚えているのは、母が私にピンクのストライプの生地で、スカートを作ってくれて、その上に母のお下がりの赤いTシャツを着て、店を通って、出かけようとしたときです。
そんな服を着るな!!
とお客さんがいる前で、顔を真っ赤にして怒りだしました。
私は恐怖で、飛んで自分の部屋に逃げ帰りました。
父曰く、赤は不良の着る色なんだそうです。
その赤い服と、ピンクのストライプの組み合わせも気に入らなかったようで、その後、その服は捨てられたのか、二度と見ることはありませんでした。
ピンクのストライプの生地で服を作った母にも、文句を言っていました。
いつもいつも、そんな調子で、父の意にそぐわないことがあれば、不条理に怒鳴られるのです。
母に対しても、父は私以上に、何かと文句をつけては怒鳴りちらしていました。
母は父と別れたかったんだと思います。
母はそんな父との生活に不満を抱え、悩んでいたように思います。
何度か私に、私と私の兄がいるから別れられないとか、新しい家庭を持っても、新しい父親とやっていけないだろうなどど言っていました。
今になって思うと、よくあんな父と別れずにいたものだと思います。
母も病んでいたんだと思います。
DVをされる女性の心理に近いものがあったのかもしれません。
時々は、父は優しかったのかもしれません。。
私が小学生くらいのときに、父の母親も同居していました。
私の祖母です。
その祖母も、父によく似ていました。
と言うより、父が似ていたのですが。。
その2人のケンカは、それは壮絶でした。
美容院がとても繁盛していて、母が店に出ている間、私たち兄妹の面倒を見たのが祖母です。
いつもタバコを吸って、テレビを観ている姿が、今でも思い出されます。
私にとって、この祖母も怖い存在でした。
父ほどヒステリックに怒ることはしませんでしたが、笑った顔が思い出せません。
母は店と家事で忙しく、私はあまり相手にされず、祖母も心を開ける相手ではありませんでした。
父が他の父親と違うことを知ったのは、夫の両親に会ったときです。
夫の両親は本当に
普通
の人たちでした。
私にとって、とても衝撃的なことでした。
サラリーマンの義父と専業主婦の義母。
どこにでもいるように見える夫婦。
義父はごく普通に温和に義母と話をし、何の違和感もない。
何の問題もない訳ではなかったでしょうが、少なくとも、義父は私の父のように、権力を振りかざすような、人を見下すような態度は取らないし、義母と対等でした。
そこで初めて、自分の生まれ育った家庭の歪んだ姿が浮き彫りになりました。
父はおかしい。。
そのことを認識した瞬間でもありました。
父は勉強ができることが一番だと思っていました。
有名な大学に入り、有名な企業に入るのが幸せだと思っていました。
なので私たち兄妹にも、塾へやったり、通信教育を受けさせたりと熱心でした。
勉強ができれば、認めてもらえる。。
テストでいい点を取れば、父が喜んでくれる。。
私は父の期待に添えるよう、ただそれだけのために勉強したように思います。
でも、それも中学3年生のときに、もう力尽きてやめました。
もう、勉強をする気が起きないのです。
糸が切れました。。
その後は、それまで勉強していた学力だけで短大まで行ったようなものです。
大学に入らなかった私に、両親は不満だったでしょうが、浪人する気も起こらなかったし、両親の思い通りにならなくて、良かったくらいでした。
長くなったので、その2に続きます。。