自分が海外にすんでいた時、何度か、経験したことがあります。

現地の方(米人や欧州人)とほどほど仲良くなって、食事したり、バーで飲みながら、話していたりすると、
「日本人てさぁ、まじめで 表情なくて、何考えてんだか、わからないこと多いよね」 とか、
「でもさ、酒飲んじゃうと、クレージーでさ、なおさら ドン引きしちゃうような キャラって多くない?」
「そうだよね。 まあ、でも、あなたは、そんなんじゃないから、日本人ぽくないから、気にしないだろ」

という感じの会話です。

もっと 大まかに まとめた言い方をすると、

「XXXX人て XXXだから、いやなんだよね。でも、おまえはいい奴だ。」という論法です。

フランス人に友人が多い職場の先輩は、このような論法を「選別的差別」と揶揄していましたけど。

これについて、色々考えました。

XXX人ってさ、 と 始まる議論って、基本的にはステレオタイプですよね。データとして蓄積があるわけでなく、かなり限定的な実体験、もっとひどいと、自分で体験していない、第三者からの情報でのみで 知っているつもりになっている。

日本国民一億二千万みんな、知ってんのかよ。って、ことです。

それをベースに 国民全体の対する判断、というか、レッテル貼りしちゃう。

こういうロジックだと、どうしても個人的に知り合いになった日本人が、当てはまらないキャラだったりするのも 当たり前なことです。

国、国民に対する 印象って、メディアや噂話やネットの情報で、どうしても、持ってしまいますし、それは それで仕方ないと思います。

でも、そんな 限定的で一方的な情報だけで、包括的なレッテルをこしらえて、決めつけちゃうっていうのは、どうしても、乏しい判断だなぁ、と思うのです。

選別的差別って、結局、発言した当人の自分勝手さ、理解の乏しさ、と 同じことなんだな、と
いうのが、自分の結論でした。