朝日新聞には、たいへんお世話になりました。
親せき筋で 朝日新聞の販売店を経営されいるところがあったおかげで、幼少のころから、朝日新聞信仰者でした。
戦後の民主主義オピニオンリーダーとして。弱者の味方として。 それはリスペクトしていました。
あのような悲惨な戦争に 世論を再びあおりたてない、という信念。 ペンは剣より強しを実践していくジャーナリズム。 そう親せき筋、自分の親からも言われていました。
留学して 海外にて生活し、十分 日本の外を見て経験してしまったあと、帰国して 朝日新聞を読むと
あれ?
という違和感。
海外にいた間は日経新聞(衛星版)しか読んでいなかったからかな。
なんか、へんだぞ、この紙面。
社会的弱者(貧困やハンディキャップをもつ、難病患者、ハラスメント被害者などなど、こと欠きません。)に対するフォーカス度が はんぱ ないです。
一方で、国際問題、地政学的な問題や国政問題等のマクロ的な社会報道では、なんか踏み込んでいない。
ちょうど民社党が政治の舞台から存在感をなくしてしまった時期だったからか、余計に、国というマクロの視線より、本来民社党の得意なマイクロな視線にこだわる記事が多い感じがしたのかも。
国政や外交に対して、外国の国々と仲良くしなければ、という文句を言うだけ。 守るべき国益、世界の中の日本というポジションに対する考え方が全く伝わりません。理想主義というか、理念先行型で、だれ得? のような話が多くなっているように思えてきました。
しかも、実父が、勤務する会社のことで、(役員でしたから) 朝日新聞の記者から取材を受けたことがあって、その質問があまりにも短絡的で ちゃんと説明をしようとしても、聞いてくれず、ほしい回答に導かせようとするにおいがぷんぷんして、無礼極まりない、と、怒りまくっていた、という経緯もあり。
なんか、おかしい。。。 ということで、朝日新聞から気持ちも離れてしまいました。
そして、今回の騒動。
完全に、以前の朝日新聞の大切なもの、失ってしまってます。 お話になりません。
私の頭には、戦争中の検閲による黒塗りの新聞、教科書が、言論の自由がなかった時代の代表的なイメージとして強烈に焼きこまれています。 それを、自ら、実行してしまう、朝日新聞の 愚行。
戦中世代が、現場からいなくなってもうしばらく経ちます。 戦後世代で、団塊の世代の方々も、ぞくぞくと現役引退する時代。 戦争のことを知っている人が身近にすでにいない世代が 現場の中心になっている時代です。 旧来の価値観・朝日新聞の存在意義を踏襲できているとは、到底思えません。
骨のあるジャーナリズムから、 保身的で、理念的で、身勝手で、内輪ウケだけが大切な オールドメディア になりさがっちゃった。
そんな感じがしています。