バタ臭い、っていう言葉、なんか 進駐軍が持ち込んだものののように、妙に仰々しくてエキゾティックで、というイメージがありました。

なんでも、バタくさいは、バターくさい、から来ていて、つまり 西洋かぶれ的な何でもバターを入れて作っちゃう洋食のような、いまいち しっかり日常になじんでいない 海外憧憬的な ことも指すようですね。

LOVEって言葉にそれをやっぱりどうしても、感じちゃうんですよ。 
海外に住んでいたさいには、そのコンセプトが実に生活に溶け込んでて、違和感無いのに、日本では、なーんか、甘ったるくて、あんこ じゃない スィートな感じ。 なじめていないです。

人間関係ってどうやってうまく成り立つのか、思春期からずーっと考えてきて、悩んで、どれだけのエネルギーを使ってきたんだろう。 まだまだ 答えは見つからないのですが、

アメリカでは、Love は GIVINGという言葉を聞いたとき、ふーんと思ったのです。

人と人の間には、GIVE と TAKEが必ずあって、そのバランスが良いと、人間関係が成り立つのかな、と思った時がありました。

TAKEにしか行動できない人と一緒にいると、GIVEに偏重してしまい、それがつづくと、その人間関係って ひどく疲弊しちゃうことになります。

基本的にTAKEであるポジションは、楽であり、うれしい。しかも、そんな良いポジションにすぐに、慣れちゃいます。TAKEすることが当たり前になっちゃう。  

また、十分に過去にTakeできなかった、もしくは、Giveされなかった人って、どこか、口渇感を持っている感じで、がむしゃらに、TAKEを求めたりする傾向があったりする印象です。

GIVEができる人ってどうなんでしょう? 幸せな人? 配慮深い人?  

日本の場合、仲間意識の再確認的に、GIVEをすることが 暗に求められていたりするので、GIVEはお礼として、大切だ、という 儀礼的なところがあります。

このように日本では、GIVEとTAKEが 儀礼として同調圧力がかかり、ワンセットで交換されるのです。

でも、日本国外では、GiveとTakeについて、能動性がかなり必要なので どうしても、意識してしまうわけです。 

この話を日本で友人とすると、「人間関係なんて、そんな現金な話ではないだろう」と ピンボケな答えが返ってくるだけでした。

Give と TAKEは、物質、金銭的なものばかりではありません。エモーショナルな エネルギーの 方向性も 含まれています。

頼れる人に頼りぱなしで、頼られるようなことは あまり応えないとか。

恋愛関係では特にこのGIVEとTAKEの感情エネルギーのバランスが取れていないと、一方的な思いだけになりやすく、苦労の多い、関係になってしまうのでは、ともいます。

LOVEなんて そのような感情的なエネルギーのGIVEとTAKEのバランスが しっかりとれていないと、成り立たない、かなり FRAGILEな気持ちであるのに、

日本の(庶民)文化的コンテキストでは、軽々しい、というか、思考停止キーワード、として 濫用されている感じがひどくしてしまうのです。