先日、ふとした機会で集まった 子供をお持ちのお父さん、お母さんたち。

お酒を飲みながら だらだら 世間話をしていました。


日本では、このような場で 必ず 世代(年齢)の話が でてきます。


年齢差があるご夫妻はだれでしょう? とか、見た目より若い・老けているお父さん、お母さんについて、すごーい! えーっ?そうなの! なんてやり取りが続きます。  まあ たわいの話しだし、どうでもいいし。


でも、その中でかなり厳しい目をして 「えー、そんなに歳取ってんの? 夫婦同じくらいの世代と思ってたわよ」 と つっこむお母さんがいました。


この方、下戸らしく、ウーロン茶やカルピスを飲まれています。 うわさでは、いろんなところできっちり自分の持論を押し通す方らしいです。 旅行代理店で申し込んでいったパックツアーで不手際があり、話が違う!とクレームを入れて全額お金を返してもらった、とか、 小学校に通う子供のまわりで、いじめ があって、その件で 小学校の先生にかなり突っ込んだ話をしたとか(しかも、自分の子供が被害者でなくて、加害者チームの一員だったらしい) とか。  すでに、 武勇伝がいろいろあるようです。


まあ、そんな色眼鏡で見ないようにしようと心がけてみました。。。が、なかなか この方の発言が いつも 一方的なルール設定を前提している 感じがして、それだけで、かなり 「あーなるほど」と 思わざるを得ませんでした。


夫婦の会話に子供が割り込んで いつの間にか、子どもが自分の要求をするりと入れて大人にのませようとする、みたいな状況のはなしをしたら、その方は、「我が家ではそんなことあったら、あんたは養ってもらってんだから そんな子という資格なし!と却下するわよ」 と 言い切っていました。


まあ、主張されていることには、一理あります。。。 が、それだけで すべてばっさりと切り分ける、というところにやっぱり違和感が。


一理あること、が すべての真理、善悪の判断基準では必ずしもない、という人間の複雑さ、痛みわけ みたいな肌感を持ち合わせない 方なのですね。 


海外に行くと日本の常識が通用しない局面があります。 個人が信じ込んでいる「常識」 は 実は真理ではないのです。 一理あること、と思っていても、他の人・他の局面においては、その一理が通用しないこともありえるのです。 そういう場合の対応の臨機応変さ、柔軟さに欠く、というのは、やっぱり、お付き合いしずらいなぁ。