香山先生のコメントやらお写真は、雑誌(むしろつり広告)やTVで拝見していました。
メディア映えする 先生だなぁ、くらいな印象でした。
最近、彼女の橋下市長に対するコメントが、ネットコミュニティで取りざたされるようになってきているようなので、ちょっと 彼女のコラムが ダイアモンド オンラインで読めるので 読んでみました
http://diamond.jp/category/s-kayama2
ははー、なるほど、という感じです。
白黒はっきりさせよう、という議論・討論派である橋下市長の、考え方、アプローチに違和感を抱いている、ということらしいです。
白黒決められないこともたくさんある世の中で、なんでも、白黒はっきりつけようとする橋下さんの議論・手法に違和感がある。 レダンダンシーが世の中には必要なんだ、と。 つまり、ある程度 無駄だったり、重なったり、効率悪いことがあっても、いいじゃないか、というスタンス、と理解しました。
それは、それで正しい議論だと思います。 でも、それが世の中の価値観として標準的なものとすべき、という議論はちょっと ねじれていると思んですよ。
世の中のために 何かしようとしたい、という情熱がある政治家なら、 社会がかかえる現状の問題に対して、何かしらのアクションをしなければならない、と思うし、そのアクションに対して 有権者が期待をもつことは、当たり前です。
社会にはこのような問題がある、だから こういうことをしたい、という議論は政治家なら当たり前です。
それでは施策をきちんと実行したら、掲げたような 必ず良いことが実現するのでしょうか? 一方で犠牲になる人や事情などはないのでしょうか? そこら辺の議論をちゃんとしたのか?と問いただす人はいるでしょう。
でもやってみなければならない、多少の犠牲・我慢もやむを得ないではないか、という議論にするか、犠牲となる方々には 救済措置を含めて対応を考える、という答弁になるか。。。。
政策・施策とはこのようなものです。 つまり政治家は、白黒はっきりしないことを そもそもいうものではないし、はっきりしたことを言わない政治家なんか、だれも信用しないはず。
香山先生の言い方だと、はっきりさせない政治家のほうが よい、ということになりませんか? そんな政治家が現状の日本(民主党)は 大すぎで、それこそが問題なんだよ、というのが、橋下擁護派有権者の意思表現ではないでしょうか。
白黒はっきり決める必要はない、という考え方が、重要な意味を持つ局面は、 挫折を味わって精神的にダメージを負ってしまった人に対する 考え方の転換を促すときです。
思ったような結果が出なかった、信じていたけど裏切られた、などの理由で 敗北感を味わっている人は、罪悪感や遺恨などで 自分を責めてしまい 気を病んでしまう人がいます。 自分を責める という行為の根源は、よい、悪い、白 黒 はっきりさせたがる考え方からきているケースが多い、と経験上感じています。
このような人には、そんな白黒はっきり自分に突きつけることないじゃない、必ずしも、負けというわけじゃないんだし。 という言葉が アドバイスとして的確であり有効でしょう
香山先生の他の記事を読んでも、そこまで白黒はっきり決めつけて議論しなくてもいいじゃない、という調子が一貫して感じられます。 これは、精神科医として 病んでいる方へのアドバイスとしては、正しいアプローチでありますが、 論点について、討論する、というアプローチでとしては、お話になりません。 討論することないんじゃない、だって白黒はっきりなんかしないんだし、という態度の表れ な感じがしてしまうからです。
精神科医としてのスキルと論評委員としてのスキルは一緒のバスケットに入らない ということのように思えました