有名大学出身とか、進学校で優秀な成績、という 個人的な経歴は、肩書き としてついて回ります。
でも、そもそも 優秀な成績 ということは、なにを意味しているんだろう、とふと 考えたとき、 答えがすぐに見つかりません。
NHK教育の「テストの花道」 や 「麻里子さまのおりこうさま!」 を見ていて、ふと思いました。
戦前では、飛び級があったり大学進学が難しかったりして、優秀な人材の選抜・養成としての機能が進学することにあったといえます。 この場合の優秀な、とは、 国の発展のために力になる、という 大まかなくくりの価値体系のもとでの話です。
つまり、役人、軍人、大企業の幹部候補生。当時の日本を 政治的、軍事的、経済的に支える人材を育てること。
敗戦後、軍人は、職業として花形ではなくなりましたが、それでも、昭和日本の復興・発展を支えた人材は、このようなシステムにより輩出されたといってもいいと思います。
また日本の教育は、工場労働者を育てるには、うってつけだったと思います。規律・団体行動に厳しい学校生活を送らせることで、労働者の労働意欲の維持は、賃金だけによるものでない、という世界的にもまれにみる、ある意味 取り扱いやすい 均一性の高い資源となり、結果 生産品の品質が高いものになった、という図式は、簡略化しすぎてはいますが、まちがいではないでしょう。
21世紀の日本で、このような昭和のシステムはもはや 日本の経済・政治を立て直すには有効な 人材育成プログラムになっていなません。 そんな状況で 昔ながらの学校制度による学歴は、今、どういう意味を持つのでしょうか。
同世代の友人が、自分のこどもが、「どうして勉強しなきゃいけないの?」と尋ねた時に、「それは大人になってちゃんとお仕事をして、お金を稼いで、家族で旅行とか楽しいことができるようになるから」って言った、という話をしてくれました。
うーん、この説明は、昭和の環境のままで、今の子供たちの置かれる環境には、あまり適合しないの話ではないか、とふと思ったり。 (その友人本人もあまり勉強が好きなほうではなかったはずですけど… 苦笑)
文部科学省がいう「生きる力」を有する人材を育成する、制度となった暁には、人々は、今と同様に、学歴 云々といっているのでしょうか?
そこらへんも考えていきたいと思います。