私が幼少のころ、学級委員は、クラスのなかでは、スポーツができる、とか、クラスの仲間をいつも笑わせる面白い人、といった いわゆる人気者のゾーン から 一線離れている、少々まじめで、ちょっと食えない感じのキャラが 罰ゲーム的な感じで 学級会で推薦され、挙手され 決定して なっていました。


もっと昔の昭和の時代は、勉強ができて、優秀で、クラスのリーダーみたいなイメージだったようですが。


そういう過去の経験からか、リーダーになる人は、実は 集団から ある意味つるしあげ的にさせられちゃっているものだ、というプロセスのイメージが かなり鮮烈に あります。


だから なんでわざわざ 学級委員とか、政治家、とかなりたい人いるんだろう、ってず~~と思っていました。


実際、今の総理大臣の立場に対して、マスコミの叩き方は、容赦ない感じです。


大人になって色々と経験するにつれ、集団のリーダーとしての実権を握って、いろいろとやってみたい、という気持ちがある人がいてもおかしくないな、と 思うようになりました。


自分が信じる理念や考え方を共有できる集団があってこの集団の人たちと 団結して ゴールを目指して 進んでいく、ということをしてみたいと思うと、なおさら、そんな集団(チーム)のリーダーとして頑張ることって かなり充実している感じがします。


総理大臣になりたい、と思った人も同じようなモチベーションを もともともおもちになられていたのでしょう。。。


リーダーとして一番大変なのは、理念や信念に基づき、行動を起こし結果を出す、という 行動力・実現力が伴っているか、ということだと思います。 そのために集団に対して どういう働きかけや、コミュニケーションをしていくか、きちんとした戦略と作戦が必要です。


美しい日本、という理念を掲げた総理大臣がいました。これを目指したとき、何をゴール設定にするか、それに至るまでに何をしていくか、というポイントが分からないままでした。


「最小不幸社会」、「平成の開国」、を標語にされていた総理大臣のお話も、具体性に欠け、実現可能性を感じられない、と私は受け取っています。


東日本大震災に関する 最初の菅総理のスピーチは、「この苦難をともに乗り越えていきましょう」という内容でした。  これは、個人的に、かなり、イタイものでした。  リーダーとして、まず何をやる、何から手につける、インフラの復旧はいつまでを目安に全力を挙げて、みたいな もっと具体的なアクションプランが 出されるべきだったと思います。これにより、菅さんで大丈夫か? と 思うようになった人も多かったのではないか、と思いました。


日本では、リーダーは常につるしあげられるもの。 それに勝てるには、強い理念や信念だけでなく、具体的なことをコツコツ実現していくことしかない、と痛烈にこのところ、感じています。