以前に、学校教育の話をちょっとここでした関係で、ゆとり教育って何だったんだろう、と思い ネットで調べてみました。
知識偏重型詰め込み教育を否定する形で出てきたそうです。 さらにその背景として、1996年に中央教育審議会 (中教審)の「21世紀 を展望した我が国の教育 の在り方について」という諮問に対する文部省がだした第1次答申の中にあった「生きる力をつける」というキーワードがあったと、WIKIでは 結び付けているようです。
この「生きる力」って聞いたとき、自分の頭の中では、サバイバルするスキル、という言葉に(逆ルー大柴的に)翻訳されました。
ここらへんの論議の流れは、自分が普段から考えていることととマッチします。。。
従来の知識偏重型の教育に、差ほど不便を感じなかった自分としては、それ自身が(日教組が主張していたらしい)教育制度の問題となっていること自体にあまり認識がありません。 自分は勉強がさほどできたわけではないです。 ただ、興味のある教科では、勉強は日教組が主張するほど、苦行になっていませんでした。
でも、集団生活のしつけにたいへん窮屈な思いはしていたことは覚えています。
修学旅行の班編成と班単位の行動制とか、魔女裁判のような学級会とか、校庭での朝礼やマスゲーム練習とか。。。
いきる力をつける、とは、集団行動のしつけ(きまりごと)だけ きちんと守らなければならない、という、減点制のシステムから、 一個人として、あれもできる、できるようになった、という加点制のシステムに代わることだとも思います。
その大きな価値観の変化を求めようとして行った現場での施策は
脱知識偏重=ゆとり=なにもしない=加点されるスキルの学習・吸収がなかった、
という構図になってしまった印象です。
文部省の意図と現場の施策にここまでおおきな差があったとは、おどろきです。
おそるべし、日教組!?