あいまいな表現が多い日本はガイジンが理解しにくい、ってよく聞きます。
表現だけでなく、個人の行動、色々な制度や組織も あいまいさってのがたくさんあって、合理的な判断や 合理的なプロセスデザインが 必ずしも 正当である、というわけにはいかないところが、日本の生活を実体験すると苦労するところ、だと思います。
そんなあいまいさがたくさんある日常が、ふつうに機能してきた日本というこれまでの実績。
今はそんな実績をこの先の将来のためにどう評価しなければならないか、が迫られている時代のような感じがしています。
「まあ、いいじゃないか」「まあ、しかたないな」という 気持ちの消化ができない人が多くなっている のか
「お前の意見には反対だ。まったくもってお話にならない」と言う気持ちで、相手が消滅するまで 追い込んでいく、という粘着質の人に歯止めが効かなくなってきているのか。。。
自分の感情に正直になったのか。。
あいまいさが充満する空間を前提とするカルチャーで あいまいさを許さない人たちが増えている、という時代。
それでも、やっぱりあいまいさに依拠している時代。
「~させていただきます」「~になります」という ますますあいまいな丁寧語が増殖している現実。
殺人してもその動機がまったく不明瞭であいまいだったり。。。
自国領土を侵犯されていても あいまいな対応だったり。。。
過去の出来事について、自国の公式見解を きちんと述べずに あいまいな答弁をするだけだったり。。。
世紀末感を感じてしまいます。