まだまだ若いころ、色々な不満が色々なことに対してたくさんあって、そのやるせようのない不満が、「斜に構える」というか、「すねた態度」 になってしまう時期がありました。
そういう時期を抜けた後振り返ってみると、そういう オレ ってかなり面倒くさい奴だったろうなぁ、と自省の念が。
青少年期特有な潔癖症的な価値観にとらわれ過ぎていた、ということだ、と自分では思っています。
ある意味、まわりの現体制というか、世間の制度・システム・既存共有価値に対する アンチ・テーゼみたいな立場、と勝手にポジショニングしている感じになっていたところもあります。
でも、そんなアンチ・テーゼ的な立場って、テーゼがしっかり受け止めてくれないと意味ないのです。 つまり、外国に行ってしまう、とかで、 既存の共有価値を踏襲しない環境に身を置いてしまったら、 アンチ・テーゼのValue感が一切なくなってしまう。 すねる相手がいないし、すねていても誰も気にしなくなってしまう、ということです。
そうなるとアンチ・テーゼな生き方・考え方を柱にすることはでなくて、自分のテーゼで生きていかなければならない。 だって、孤独で寂しくてつらくなっちゃうから。
日本では、若者も中・高年の方にも、シニカルで斜に構えたコメントをする人って結構多い印象です。
自分の経験から考えると、これは一種の甘えでしかないです。 既存共有価値に対して否定的なスネオくんは、実は、自分では独自価値を持っていません。 でもそれが気がつかない。 それに気が付くと、孤独でさみしくてつらい、という大変さが分からない、ただの甘えん坊なのです。