平等や公平さ、って小学校の時から教えられているような気がします。
でも、その言葉の裏腹に、妙に、窮屈な感じがして、きもち悪い感じがするときもあります。
例えば、部署内で、仕事の負荷が偏っている、と指摘された場合。 仕事ができるやつが仕事の量が多くて、仕事のできない奴は、楽している。 その部署の責任者としては、これを是正しなきゃならない、という暗黙の指導がさらに上層からされている、みたいな感じのとき。
部署の責任者としては、部署の成果(物)に責任があるわけです。部署内の人材のうち、安心して仕事を任せることができるメンバーと、成果の品質がどうも出にくい、あるいは、手とり足とりいちいち、指導しなければならない、人材がいるとき、前者にやっぱり仕事を振ることが多くなってしまいます。
そうなると、先のような不平・不満が生まれやすいわけです。
できないやつをできるようにする指導は必要ですが、それとこの負荷の偏りとは、別問題だと思いますし。
部署の責任者として、何ができるか、といえば、負荷が高くて大変だけど、成果物がきちんと満足できる形でできている人には、そういうかなりの高い評価をきちんと与えるべきで、できない人にはそれなりの低い評価を与える、ということです。
その高い評価が定着すれば、もっと責任のある立場についてもらってさらなる働きを期待する(昇進)ことも可能だし、低い評価だと、給与ベースアップなし、みたいなことも可能、みたいにメリハリをつけることがいいのでは、と思います。
能力の高い人材と低い人材で、評価が違うのは、社会人として当たり前のはず。低い評価のヒトが、「だって仕事をきちんと与えられていないからできなんだ」なんて弁解するのを、いちいち聞いてあげて 甘い評価にすること、って多いと思いますが、これこそ、不公平の端的な構図だと思うんです。