今6歳の娘たちの妊娠がわかった頃のお話です。








妊娠を望んでいた私と夫。

妊娠検査薬で陽性が出たときには2人で喜びました。


そして近くの病院へ。

口コミで言葉数が少なく、小声だけど悪い先生ではないと書かれていたところ。

50代?位の男の先生。

初めての検診台。
台に乗るのがとても恥ずかしかったですが、小さな胎嚢を確認。

「1週間後にまた来てください」と。




1週間後、
再び病院を訪れ、また検診台に乗り経膣エコー。


先生が「双子だね」と。

確かに小さな丸が2つある。

育児の大変さも知らない私はただただ嬉しく思いました。


でも
次の先生の言葉で
一瞬にしてその嬉しさが地に落ちた



「次は無くなってるかもしれないから」と。




えっ・・・?!



先生は続けて、
「もう1つの胎嚢に吸収されちゃうことがあるんだよね〜。また○日に来て」と。


私は頭が追いつかないまま、あっという間に診察は終わってしまった。


待合室に戻った私は追いつかない頭を働かせ、どういうことなのか考えた。


看護師さんが気を遣って下さり、待合室まで来てどういうことか教えてくれた。


バニシングツインと言って、2つある胎嚢のうち1つがもう1つの胎嚢や母体に吸収されてしまうことがあるとのこと。



説明を受けて、看護師さんがいなくなった後もまだ頭が追いつかなかった。



でも、次はこの子達のうちどちらかはいないかもしれないと言うことは理解した。
涙が込み上げた。



次回、この子がいなくなってしまったら、この子がいた証は何もなかったことになるのか、、と思い、通りがかりの看護師さんに頼んで先程のエコー写真をくれませんかとお願いをした。




もらったエコー写真を持ち帰えり、夫に説明をした。

「双子だったんだけど、バニシングツインって言って次はいないかもしれないんだって」


夫も胎嚢が大きくなっていたとか喜ばしい報告を期待していただろうになんだか悲しい報告になってしまった。



次の検査日まで、ずっとバニシングツインについて調べていたように思う。



そして検査の日



胎嚢は2つあった。



ただただ良かったと思った。

先生は相変わらず、
「ここは双子診られないから、大きい病院に紹介状書くから」と。
口数が少ないけど悪い先生ではないんですよにっこり



そうして、私は大きい病院に移り、
無事に2人とも産まれた。


そして、もう6歳。
産まれてからも色々あったからなんだか早いような遅いような気もします。


あのときのことは今でも鮮明に思い出せます。
あのエコー写真が2人で写る最初で最後の写真にならなくて良かったと思い出すたびに思います。



最後までお読みくださり、ありがとうございましたスター