今日、お風呂から上がって脱衣所で体を拭いていると、リビングから子供たちの声が聞こえてきた。6歳息子が4歳娘に”なにか”について謝れと言っている。娘は泣きながら「ごめん」と言った。すると息子「ごめん、じゃなくてごめんなさい!」。娘はさらに泣きながら「ごめんなさい!」と言っていた。
私はそのやりとりを、複雑な思いで聞いていた。
「ごめん」はだめで「ごめんなさい」なら正解。なのか???
私自身は、言葉そのものより反省の気持ちが大切だと思っているので、「ごめん」と言えれば良しとしている。なので、息子から出た言葉は私の真似ではない。どこかで誰かが言っているのを聞いて、それを是としてしまった結果であると思われる。濃厚な線は4月から通い始め、新たな環境で見るもの聞くことすべてが新鮮で、ちょっぴり大人になれた気分を味わっているだろう”小学校”での経験。もしくは、不本意ながら息子の父親にも(正確には父方親族にも)その傾向は否定できない。
言葉として丁寧な言葉遣いを身に着けることははっきり言って良いことだ。なんなら私は国文学科卒ゆえに、敬語と尊敬語の違いだとか、あるいは昨今の若者(に限らないのが切ない話でもあるが)に見られる言葉の乱れを憂いている立場でもある。
だけど、本質としの”反省”ではなく、表面上の言葉として”ごめん”ではなく”ごめんなさい”を要求するという、それこそその違いも知らないままに正義ヅラして言い放っている息子に少し恐怖すら感じた。
ただ、そこで「反省してるから言葉なんてどっちでもいいんだよ」とは言ってやれなかった。
なぜなら、日本社会では息子の取った行動がマジョリティだからだ。(海外で生活したことはないので日本だけがそうなのかと言われると違うのかもしれないけれど)
思えば、幼いころ、親だったのか先生だったのか、同じことを言われた記憶がある。「本当に反省しているのなら、ごめんじゃなくてごめんなさいでしょ」と。その当時から「はぁ?!」と思っていた。こっちは心底反省してるのに、問題はそこですか・・・。萎えるにもほどがある。
こうして健全だった青少年は歪んで屈折しながら成長してゆくのだと思った。というか、今は思う。
余談だけど、昔お付き合いしていた男性にも同じことを言われた。その日、私は就職試験の面接だった。彼は面接会場付近で終わるのを待っていると言った。たぶん何時くらいになるだろうと伝えていたが、実際には時間が遅れ30分だったか長くても1時間程だったと記憶してるが、とにかく彼を待たせる結果となった。私としては面接待ちの間によっぽど連絡を入れようかとも迷ったが、なにせ面接会場。待っている間も審査されているという噂も耳にしていたし、申し訳ないと思いつつ連絡は控えた。そして面接が終わり小走りどころか走って彼のもとへ向かい、まず第一声に「ごめん!!」と言った。もちろん心底から申し訳ない気持ちから出た言葉だ。そして彼の第一声がこれだ。「本当に反省してるならごめん”なさい”だろ!」そして「連絡するのが礼儀だろ」とも言われた。その頃すでに暗雲は立ち込めていた関係ではあったが、その彼とはほどなくして終わった。
目上の方に対して敬語や丁寧語を使うという事はもしかしたら日本人特有の素晴らしい文化なのかもしれない、やたら紛らわしいし面倒くさいが、私も、その文化は好きではないにしろ、嫌いでもない。というか興味深い。使うか使わないかは別として、知っているべきことだとも思う。
だけど、それぞれの関係性において、表面的でしかない言葉は単純に音の羅列でしかないわけなので、それよりも本質的な意味をもっともっと感じて伝えることが大事なんじゃないかとも思う。
そもそも尊敬語って、尊敬するから使うのが本質から行けば妥当な使い道なわけだけど、実際には目上の人に使う言葉ですね。私自身は年下の方から敬語を使われないことにイラつくことはない。敬語を使われないからといってバカにされていると思わない。逆に年上の人生の先輩にあたるような方でも敬語を使わないケースもある。かといって尊敬してないかといったらそうではない。
敬語や尊敬語、丁寧語が人間関係を円滑にするという事も、初対面の場合やビジネスにおいてはとても役立つ手段として納得できる。
だけど、本末転倒にならないように、まずはそこに”気持ち”があることを子供たちには知ってほしい。