YOSHIKIディナーショーについて。
前回、感動エピソードとして書いたが、それだけではない側面もあったわけで・・・
あたり前だけど、あくまで個人的意見として書かせていただきたい。
小さなことから・・・
本当に些細なことなんだけど。手土産のワイン。(ちなみに手土産はYOSHIKIワインとYOSHIKIタオルケットで、このタオルは肌触りも良くて大満足。もちろんワインも嬉しい。)
なにが残念って、ワインが埃をかぶっていたことだ。うっすらですよ、もちろん。だけど箱入りワインの箱の中のワインの瓶が埃かぶってるって・・・それはつまり、瓶の状態で保管されていたものを箱詰めしたという事なんだろうけど、その工程で気が付かなかったのか、まいっかという怠慢があったのか、そのどちらかなわけで。どちらにしても残念なのだ。もちろんYOSHIKIが箱づめしたわけではなくて、YOSHIKIサイドのスタッフでもないと思うし、ワインを管理している酒屋さんでもないだろうけど、いわゆる下請け的な方たちの作業だと思う。
だけど残念な気持ちになるのだ。細部までこだわるYOSHIKIでしょ?チェックしなよ。という事ではなくて、末端に至るまでプライドを持ったお仕事を徹底すべきで、それはYOSHIKI本人には難しい事だろうから、信念をともにするスタッフが徹底すべきことだと思う。
それから。私的に萎えたこと。
ショーの中で恒例となっているチャリティーオークションのあり方だ。
私は今回が初めてのディナーショーで、うへぇと思ったが、たぶんこの状況も毎年恒例のことなんだと推測できる。別にチャリティーオークション自体には、主旨がはっきりしてるわけで何の疑問の余地もないし、超高額な値が付くことも私は何とも思わない。
今回の出品数は5点で、そのうち2点は同じ方が競り落としている。他の一点についても、ステージ上の会話から察するに、以前にも競り落としたことがある方っぽい。
始めは値が上がっていくのが見てておもしろかった。世の中にはお金持ちって本当にいるんだなぁって。自分には参加権など到底ないけど、見世物として楽しめた。競り落とした方がステージ上でYOSHIKIと会話をし握手をし写真を撮る、ちょっと馴れ馴れしいんじゃない?!って気持ちも、それはお金持ちさんへの軽い、いやかなりの羨望とひがみだと自分でわかるし、私含めその他大勢のそんな気持ちを煽るのもまた想定内のショーなんだと認識している。
だけど、同じ方が2点目を競り落とし、またもやステージ上で小慣れた感じでYOSHIKIと触れ合っているのを素直な羨望のまなざしで見ることはできなかった。それは、たまたまその方たち(なぜか競り落とした方とは別の席からもれなく一緒にステージに上がる女性がいて、同席しているのなら納得できるけど、何かが気持ち悪かった)のYOSHIKIに対する接し方に嫌悪感を覚えたからかもしれないけれど。仮にこの方々が節度をわきまえた接し方であれば、同じ方が2点を競り落としたとして、こんな違和感は生まれなかった?。。。いや、たぶん関係ないと思う。
チャリティーオークションの趣旨はその全額を寄付金とするという事で、何らかの支援が必要な人たちに遣われるのであれば、その金額は多い方がいいに決まっている。現実から言えば、どんなお金でもカネはカネだ。多ければ多いほど多くの人が支援される可能性があるわけだ。テレビだったか本で読んだのか忘れたけど、世界のどこかの貧しい地域の人が、先進国の人々からの寄付について、それが同情であろうと憐みであろうと私たちはそのお金で助かっている、と言っていたのが印象的で頭から離れない。死活問題を前にして、同情されたくないとかそんなプライドはないという事だ。そこに善意なんてなくても、事実そのお金が自分たちに必要なのだと。それまで偽善的な募金は意味があるのかと考えたこともある私だが、とにかくどんなカネでも是なのだと知った。皮肉でやりきれない話だけど。
というわけで、私はお金をたくさん持っている人が、本来の値段よりYOSHIKIが使用したという付加価値によって何十倍にも値が跳ね上がり、またステージでYOSHIKIと触れ合えるという特典ありきで大金をはたくということは、そこに本来の慈善の精神がなくとも理にかなったお金の集め方だと思うし、おそらくYOSHIKIとしてもその窓口的な役割を担っていることを自覚しているのだと思う。
それでも、それでもだ。私はやっぱりある程度のルールが必要だと考える。大事なのはこれはYOSHIKIのショーの一環である。ということだ。その会場にいるお客さんが楽しめなければ意味がない。特定のお金を出せる方だけが楽しむためのショーではない。さっき書いたように、参加権はないにしても、見てるだけでも楽しい。たぶん多くの人は同じように感じているはずだ。YOSHIKIの私物がびっくりするような値に競りあがっていくのはファン冥利に尽きるとも言える。
そして、お金持ちがどんなお金の使い方をしたって自由で、とうぜん文句を言う筋合いではない。お金持ちになるのにもしかしたら想像を絶する努力があったのかもしれないし、そうであれば報われるのが当然という考え方があったとしても理解はできる。
でもお金を逆手にとって、5点しかない品、と付随するYOSHIKIと触れ合える権利。を占有することに少しの迷いを持ってほしい。これは、競り落とした方に言いたいというよりは、ショーを主宰する側の姿勢として考えてほしいという意味。みんな同じように手に入れたいに決まってる。もちろんオークションだから、みな平等にチャンスをなどという気はない。私のとなりのテーブルの方で、何度かオークションの際に競りに参加しているご婦人がいた。庶民の私からすればかなりいいところまで競り合い頑張っていた。だけど、迷いながらも途中で断念するという姿が見られた。普通に考えたらそのご婦人が提示した金額だって相当なものだった。
繰り返すが、高額な値がつくのはYOSHIKIサイドにとってもファンの方たちにとっても”ハク”が付くだろう。そして何より、寄付を受ける側にとって金額は大きいほど支援として有効だ。だけど、それだけじゃない何か、というか、それよりも大事なことがあるような気がしてしょうがない。
後日、他の公演でも同じ方が競り勝ちYOSHIKIと撮った写真をインスタにあげているのを見た。なんだか虚しくなった。そして、ごく個人的には、その方たちが、YOSHIKIがサインをしてたりだとかの最中にもスマホで写真を撮りまくっていた事に、とてつもない下品さを感じた。既にYOSHIKIは”ひと”ではなく、動物園の何か珍しい生き物だと思っているに違いない、と。私思うにYOSHIKIはたぶん、それは理解というか、”商品”としてのYOSHIKIに徹してて、不快かどうかという概念を捨ててる気がするのだけど。またしても流石プロ。笑
最後にもう一つ。前回書いたように、私の席は端っこだった。だから気が付いたこと。もしも私が前列とは言わずとも中央あたりの席だったら気付けなかった。
今回のショーで途中、YOSHIKIが会場後方のドアから入場して客席を練り歩きながらステージに向かうという演出があった。ステージに戻ったYOSHIKIは「今日は歩けたね。」みんながちゃんとおとなしくしててくれたから、的なことを言った。だけど、私のいた端っこのテーブルはおろか、その隣(中央寄り)のテーブル手前でステージへと向きを変えたYOSHIKI。そしてYOSHIKIが客席を歩いてると知った瞬間立ち上がってYOSHIKI方向に突進していく方たち・・・で、テーブルまで来ないにしてもこの日一番近くに来ていたYOSHIKIを見ることすらできなかった私。というか、ちゃんと、それこそお利口さんで席で待ってた端っこの席の方たち。気持ちはわかるけど、理性はいったい・・・。自分が近くにいければそれでいいんか~い・・・!
そして、ヨシキモノショーでも、やはり端っこだったり後列はモデルさんが来ない。
ここは平等にしてほしい。というか、できるはずだし、はっきり言ってすべきだ。
決して安くはない、同じ金額のチケットを手にしているのに、ただでさえ席の位置で残念な思いをしているのに(でもそれは運だししょうがないと無理やりに自分を納得させているのに)さらに、この仕打ち・・・。切なすぎる。
もし私が大物アーティストだったら・・・この教訓を踏まえて、隅々のお客さんまで平等に大切にしてやる。いや、むしろ、そんな方にこそささやかなサービスをするのだ。と妄想をしてみた。
以上。長々と書いたが、YOSHIKIとは言わないけど、ぜひスタッフのどなたかがこれを目にしていただき、こんな意見もあるんだってよと心に留めていただければありがたい。