昨日の夜、デイサービスから「明日は「植木市」にでかけるから、買い物をするのならいつもより多めにお小遣いを持ってきてください」と電話があった。

夜、寝る前にお小遣いを渡すと、近所のコンビニかスーパーに行ってしまいかねないので、朝になってから普段より多めのお小遣いを渡す。

・・・今、ウチはお花の類がなくて緑のジャングルみたいだから、手入れのしやすいお花を買ってきてくれるとよいのだけれど。

「鯛のアラ」とか「ぶたまん」とか「おすし」とか「ほたるいか」とか「かぼちゃ」は許さん(笑)。

     ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

結局、赤いミニバラと、黄色いお花を買ってきたようだ。

んが。

何ですか? 

栗?
サザエは?
ヤキトリは?
鶏の唐揚は?
シュークリームは? (全部ワタシが食べた)
太巻きは??

これ、植えたら、花咲くのっ?

・・・想像するに、多分ハハは父祖母が生きていたころのストレス解消を買い物で済ませていたのではないだろうか。

ワタシもその気があるので、なんとなく、そんな気がする。
朝、起きて「クーちゃーん! オハヨー」と声をかけると、クーが飛び込んでくる。
しばらく頭や、肩や、顔をマッサージしてやって、クーが満足して去って行ったと思ったら、着替えの途中のハハがワタシの正面に座って、顔を突き出している(笑)。

仕方ないので、クーと同じコース(ヒドイ・・・)で、頭と顔と、耳の後ろと、肩をマッサージして、最期にわきの下を「キュっ」とひともみ。
ハハ、ひっくりかえる(笑)。

これね、肩が凝ってる人はすごく痛いねん。

ワタシが大のオトコを「いてー! もうやめてくれー!」と言わせることができるくらい(笑)。

不思議と肩の凝ってない人は痛くないらしいです。

方法としては、施術者は患者の後ろ側に周り、脇の下に手を入れる。
脇の下にピンとはった筋肉があるので、それを親指と他の4本の指で思い切り揉みしだきましょう。

オモシロイほど効き目があります(笑)。

ちなみに、クーちゃんも、他のところはウットリしているけど、前足の脇の下だけは嫌がって逃げていきます。
介護生活が始まってから、泣いたことはあっても、介護生活を「嫌だ」と思ったことはないと思う。

ハハのことを嫌いになったりは全然してないし、それどころか親子関係が逆転してしまったような感じで、ハハのことを「小さい子供みたい・・・」と思って愛おしく思う自分にびっくりしたりしていた。

なんか、ちょっとおもしろくなったハハとの生活は、確かにワタシの生活をかなり大きく変えてしまった。

自分の思うとおりのスケジュールでは動けない。
遊びにも(あんまり)行けないし、時間的な拘束がすごく増えた。
友達づきあいも時間を合わせるのが難しくなった。

それでもハハは、そういうヒト達にしてはものすごく扱いやすく、素直で穏やかだ。
妄想も徘徊も昼夜逆転もないし、暴力もふるわない(扱い方にコツは必要ではあるけど)。

だから、ほとんどの時間、ワタシは「なんじゃこりゃー?!」と内心で思いながらも、ハハに穏やかに接することができてたのである。




ところが。




多分、神戸の女児殺害事件の報道がインプットされすぎたことがトリガーだと思うんだけど、昨日ワタシはこう思ってしまったのだ。(引かないよーに・笑)


「ワタシって、この先どうなるのかなぁ」


「隣でくーくー寝ているハハの首をキュっとひねったら、何かが終わるのかなぁ」

と。




ぶっとんだ。

本当に、ぶっとんだ。  ひねったらアカンがな。

いろんな意味で「終わる」ってば。


でも、こういう想いは、自分ひとりの中に閉じ込めてたら、ヨロシクないとおもったので、ここで書かせてもらいました。

びっくりしたヒト、ゴメンね。あせあせ

別に、ハハといさかいがあったわけでも、腹を立てていたわけでも、嫌いになったわけでもない。

本当に「ふわーっ」と、そんな考えが浮かんできたのだ。(^^;
そして、そういう文字列が浮かんできたことに罪悪感も「えらいこっちゃ!」感もなくて、その瞬間ですらワタシはハハのことが好きだし愛おしいと思っているのだ。
なんか、よくわからん発想。


最近のワタシが、かなり弱ってるのは確かだ。

でもそれは、ハハのことが原因では決してないし・・・そうでもないのかな? とりあえず「3~4日、一人になりたい」というのが、一番強い願望だけど、強いストレスを感じていることがらはハハのことではない。

疲れてないときは、毎日こなせるのよ。うん。
体調くずしたり、疲れてくると、途端に「「フツーの日々」が破綻する。

んで、今のワタシにとって「フツーの日々」というのは、介護生活と仕事の2本立て以外にはないのである。
そこに、少し前から余計な問題が発生しくさったのである。

自分で言うのもなんだが、ワタシは結構アバウトで、タフで、踏ん張りのきく性格をしていると思うんだけど、そんなワタシでさえ、ささいなことでこのていたらくである。

介護生活ってのは、そんな「綱渡り生活」なんだなぁと、またしても実感しておる今日この頃です。

   -----------------------------------------------------------

一応、心療内科の先生に話して、お薬と「ニュースとワイドショーは見ないように」という処方ももらってきてます(笑)。

東日本大震災の後「パニック障害」になったときのことも、先生は知ってるので、慣れているのである(笑)。
それでも、普段は3週間くらいおいて、予約をいれるんだけど、「2週間後に来てね」といわれました。
ヘボに見えても、見てるところは見てくれているのだと思う(ヒドイ・・)

んでもって、申し訳ないけど、母の姉である伯母に3~4日預かってもらえないかお願いしてみるつもりです。

そのくらいの日数で結構回復するのよ。ホンマ。
月に1~2回、仕事の帰りが遅くなる日がある。

ワタシは、ハハがデイサービスに行く日にしか仕事してないので、当日ハハを送り出してからホワイトボードにその旨と「先に適当に晩御飯を食べておいてください」と書いて、千円札を一枚磁石でくっつけておく。(ちょっと前の鍵っ子状態である)

帰宅するのは8時~9時半くらいになるのだが、ハハはまぁたいてい寝ている。

枕元に(ワタシは嫌なんだけど・・)コンビニやスーパーで買ってきたらしいお弁当やお寿司を見つけて、内容をチェックすると、口をつけていることもあれば(ハハは超少食なので完食されていることはない)開封されていないこともある。

ワタシの分も一緒に買ってくれていることもある(涙)。

「先に食べといてって言ったやん」というと「一人で食べる気せえへんもん」などと殊勝なことを言う。

「おかえり。何食べてきたん?」と聞かれることもある。

・・・遊びに行ってたんじゃねーよ、仕事だよ・・・まだ食ってねーよ・・・(笑)


時々は、食事を済ませて、食後のお薬を自分で飲んでいることもある(一回分ずつわけてある)。お薬無視のときもある。

この間は、お薬だけではなくて、パウチに一緒に入っている「コンドロイチン(膝腰楽チン・・なやつ)」の粉末もなくなっていた。

コイツは通常は、飲み物に混ぜて適当に服用させているのだが、ワタシが特に説明もなく紅茶やコーヒーに混ぜてしまうので、ハハが自ら服用することはなかったのだが・・・ナゼ?(笑)

そんなとき、ワタシは自然と小さく笑ってしまう。

なんかしらんけど、ハハが小さい子供のようで、かわいらしく思えてしまう。


ハハの行動は、常に同じなわけではない。

「いつもはこんなことしないのに、なんで今日に限って?」とか「昨日までやってたのに、なんで今日はしないの?」ってなことはしょっちゅうである。


でも、スポットの会話は全然問題ないし、意思の疎通もできる。
冠婚葬祭のしきたりとか、聞いたらちゃんとまともな答えが返ってくる。


・・・・・わっかんねーよなぁ(笑)。
・・・ワタシはこの本を読んだことはないけど、大体そんな感じー(笑)

「笑顔」は伝染する。
「歌」や「笑い」も伝染する。
「おしゃべり」のキャッチボールは単純に「楽しい」。

多分、大切なことは、患者さんのことを「好き」であること。

「触れる」ということは「自分以外の人の温かみを感じる」ということだと思う。

ウチのハハは、ワタシと外出するときは、必ずワタシの左肘を軽く持つ。

ちょうど、目の見えない人が誰かに誘導してもらうために肘を持つみたいに。

ときどき手をつなぎにくるけど、手の向きが逆で、お互い腕が変な方向にねじれてて大笑いすることもある。「ワタシが上にしたら落ち着くんやん!」とかいって。

話をするときは目をあわす。
これは理屈がどうこういうよりも、耳が遠くなってきたから(笑)。

共通の話題にはワンコが大活躍する。
ワンコのいろんな動作を見て一緒に笑ったり、ワンコをからかったりする。

ハハは、ワタシと(にくたらしーが)イモートのハハだ。

ワタシたちを産み、愛情いっぱいにそだててくれた「人」である。

ちょっと機能がおかしくなったからといって、その辺にほっぽとくわけにはいかないのだ。

     -----------------------------------------------------------
■「まるで魔法!」注目の認知症ケア技法「ユマニチュード」の秘密 2911
 (リテラ - 09月16日 08:10)
 http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=209&from=diary&id=3053940

「ユマニチュード」をご存知だろうか。なんとなく哲学的な響きをもつ言葉だが、これはフランスで生まれた認知症ケアの技法。最近、看護や介護などの現場で劇的な効果をあげ、「魔法のようだ」と注目を集めている。

たとえば、保清・清拭は、ケア業務の半分を占めると言われるものだが、ある介護施設では、ユマニチュードによるケアの導入で、ベットで行う清拭が60%から0%になったという。

また、どんなにベテランで有能な看護師が対処しても手に負えない、いわゆる「困った患者」が、ユマニチュードを学んだ看護師のケアでは、まったく別人のように穏やかにケアを受け、笑顔で「ありがとう」とお礼まで言ってくれた。さらに、ユマニチュードを導入した別の施設では、認知症患者の攻撃的で破壊的な行動を83%減らせたとの報告もある。

そして、今年の2月には、NHKの番組「クローズアップ現代」でユマニチュードの創始者のひとり、イヴ・ジネストらのケアによって、歩行が困難とされていた患者が短期間で立てるようになる様子が紹介され、大きな反響を呼んだ。

本当ならば、まさに「魔法」だが、いったい、具体的にはどんな技術を使っているのだろう。来たる大介護時代に役立てようと、そのジネストの著作『ユマニチュード入門』(共著者・本田美和子、ロゼット・マレスコッティ/医学書院)を読んでみた。

まず、そこに書かれていたのは「見る」「話す」「触れる」「立つ」という、ごくありふれた、誰でも日常に行っている動作。この4つの援助がユマニチュードの基本の柱だという。

え? それって魔法なの? シンプル極まりない内容に、一瞬、肩すかしをくらった感じがしたのだが、しかし、同書を読み進めていくと、いかにこの4つの行為が重要な意味を持っているかがわかってくる。しかも、自分が日常のコミュニケーションでこの簡単な行為をいかにこなせていないかも。

技術の説明は具体的だ。例えば、「見る技術」。同じ目の高さから、顔を近づけて(0.4秒以上)見つめる。ただ見るのではなく、こちらから視線をつかみにいく。ベッドで壁の方に横向きになったままの患者さんなら、ベッドを動かし、壁との間に入ってでも、視線を合わせにいく。ちょっとやり過ぎなのでは?と思うけれど、視線をとらえられないまま話しかけてもなかなか通じないのだという。そして、視線があったら2秒以内に話かける。その事でこちらに攻撃的な意図はない事を伝えられる。

また「話す技術」では、反応のない患者さんに言葉をかけ続けるための、「オートフィードバック」という方法を教授してくれる。「これから腕を洗いますね」と予告し、そして腕を上げながら「腕を上げます。左腕です。とてもよく伸びていますね」と実況中継することで、相手に反応がなくてもコミュニケーションを持続させるエネルギーを作り出すのだという。

「触れる技術」も丁寧でわかりやすい。触れる時は飛行機が着陸するイメージで、離す時は飛行機が離陸するイメージで行う。そして、「立たせる技術」では、「40秒間立つことができたら寝たきりは防げる」と、立つことの重要性を説いたうえで、まず握手することから始まる介助のテクニックを事細かに説明してくれる。

ユマニチュードは、全部で150をこえるこういった実践技術に基づいて成り立っており、だからこそ誰にでも実行でき、魔法のような効果をあげているのだ。

そして何度か読み返すうちに、この技術の魔法を解く鍵は、常に「人間とは何か?」という問いかけにあることに気づかされていく。ユマニチュードは、このとてつもなく漠然とした、根源的な問いかけの中から生み出された技術だからこそ、普遍的で強度があるのだ、と。

《ユマニチュードの理念は絆です。人間は相手がいなければ存在できません。あなたがわたしに対して人として尊重した態度をとり、人として尊重して話しかけてくれることによって、わたしは人間となるのです。わたしがここにいるのは、あなたがここにいてくれるからです、逆にあなたがここにいるのも、わたしがここにいるからです。わたしが誰かをケアするとき、その中心にあるのは「その人」ではありません。ましてや、その人の「病気」ではありません。中心にあるのは、わたしとその人との「絆」です。》(同書)

そう、まさに、ユマニチュードは哲学なのだ。しかし、誤解してはならないのは、これはあくまでも、哲学に基づく〈技術〉であって精神論とは異なるということ。だから、適性や優しさの問題にすり替えてはいけない。極端にいえば、愛情を持てない相手にでも、この技術を使って人間としてきちんと向き合えば、相手を怖がらせる事もなく、威圧する事もなく、絆を築けるのだ。優しくなくても優しくなれる。ケアする側も育てられる技術ともいえる。

この技術をうまく習得すれば、認知症ケアだけでなく、あらゆる局面のコミュニケーションに応用することができるかもしれない。

しかし、何度も言うようだが、〈正面から目をみてやさしく話しかけるだけで〉〈力を入れずにそっと支えるだけで〉、認識能力が落ち、心閉ざした人がみるみる変わっていくなんて驚きではないか。同書はいう。

「この本には常識しか書かれていません。しかし、常識を徹底させると革命になります。」

そう。私たちはしょっちゅう「常識」という言葉を口にしながら、実はその常識を本気で実践しようとしてこなかったのかもしれない。介護技術の入門書ながら、いつのまにかそんなことまで考えさせられていた。「ユマニチュード」はやっぱり哲学だ。
     -----------------------------------------------------------