軍鶏について…まず訂正から。
先週12月1日のブログ
に、「観賞用と食肉用の軍鶏をシャモオトシ…」と説明してしまいましたが、品評会などに出す観賞用の軍鶏もれっきとした「軍鶏」であり「シャモオトシ」ではない、と我が軍鶏の師匠に指摘を受けました。
勉強不足を反省です
闘鶏用の軍鶏は雄同士が顔をあわせた瞬間に戦いになる。
食用として、効率よく集団で飼えるように、軍鶏と他の鶏を掛け合わしたのが「しゃもおとし」だそうです。
そして、今日も軍鶏記事です
犬用のハーネスを装着してみました。
思ったより嫌がらない。
アイガモに付けたら大騒ぎでしたが…
ハーネスを付けて後ろから引いたり、出したりして、闘鶏のぶつかり合いのコントロールをして、デモンストレーション的に闘鶏を僕のバードショーで見せられないかと思案中なのです。
もろにぶつかり合うと僕の可愛い軍鶏さんがケガをするし、一般のギャラリーには血を出す姿は見せられないですから…実際はそのくらい激しいのです。
闘鶏をしている人から見れば邪道でしかないのは百も承知なのですが、文化としての闘鶏をみんなに知ってもらうのにはいい方法ではないかと思っているので…お許し下さい。
闘鶏という文化があったからこそ、今のこの素晴らしい体型と風格の軍鶏がいるわけで、それは今の多くの犬種(レトリーバー、ポインター、セッター、ダックスフンドなど)が狩猟の文化から存在するのと同じことであることを知って欲しいです。
それは文化としての鷹狩りと同じ。
どちらも、とかく動物愛護の見方からは批判されがちだけど、その文化や歴史的背景さえも否定される危険があると思う。
軍鶏鍋は闘鶏で負けて戦えなくなった鶏を、強い血だけを残す目的もあり、つぶして食用としていたことから始まったといいます。
強い血を残すと言うことはその影に多くの犠牲があったのです。
それは狩猟犬や愛玩犬、そして愛玩であるネコもタイプを固定するために交配が重ねられ、一方で無理な交配で障害のある犬、猫もたくさん生まれ、そういう子たちの運命は…まったく同じであるということを知らなすぎると思うのです。
大学の鷹狩りの研究家の中にも実際の鷹狩りを見たことも調教された鷹を近くで見たこともない方もいるようで、闘鶏もおそらく同じ。
「鷹狩り」という言葉自体しらない人も多い。
イチゴ狩り、キノコ狩り、リンゴ狩り…タカ狩りって、タカをとる(狩る)こと?
…とタカを左手に据えてる僕に質問した人もいました。
そして闘鶏…僕もこの前初めて見ました。軍鶏も初めてでした。
言葉と写真だけで実物を知らなかった…そんなことって多いと思う。
日本には僕が素敵と思うような無形文化がたくさんあることを、ほんの少しでも紹介できたらいいかなと思ってます…と、かっこいいことをダーと書きましたが、要はうちの可愛いペットたちの存在と立場を理解して欲しいなぁ、ということです。
ヨロシク