僕の感じた南相馬 【飯舘村編】 | シャボン玉Project

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みんなの気持ちを東北地方の子供達へ!

今回のシャボン玉Projectでお伺いさせて頂いたヨシユキ先生が

率いるなかよし保育園、そして強く生きる園児達。


あれから1週間経った今もみんなの笑顔をはっきりと覚えています。


実は今回お伺いさせて頂いたのは子供達の場所だけではありません

でした。


大阪から名神高速道路→北陸道→磐越自動車道を経て、東北道の

二本松インターから山と峠を越えて南相馬市内へと進みます。


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本来であれば都心部より常磐自動車道を経由し常磐富岡インターで

降り、太平洋にほど近い陸前浜街道(6号線)を走り南相馬市内へと

入る事が出来ます。


しかし、今回その道を利用する事が出来ませんでした。

"原発"の影響です。


高速を降り、南相馬市街地へしばらく車を走らせると、途中に飯舘村

という日本一美しい村 と称された村を通過します。


僕も今回の動きをするまで飯舘村の事を詳しくは知りませんでした。

しかし今回、現地までのルートを調べる中でたくさんの歴史や文化が

あり村全体が一丸となって村おこしに取り組んでいた事を知りました。


現在は村民の約9割が生まれ育った故郷を離れ、福島市内へと自主避難

をされ、約100人の方々が避難せず村に残られているようです。

避難による健康悪化を心配するお年寄りの方が残られているようです。


その"日本一美しい村"と称された飯舘村。


走る道はあちこちで舗装工事が行われ、ロードサイドにあるたくさんの

ビニールハウスは中が見えないほどの雑草がハウス内に生い茂り、

どんな作物を作られていたのかは全く想像が出来ない状態です。


一つや二つではありません。

無数に並ぶ全てのビニールハウスが同じ状況です。


たくさんの生物が生息していたであろう溜池は1mほど干上がり微かに残った

水も全体が濁っていました。


美しく広がっていたであろう田園地帯は、まるで荒れ果てた草原でした。


道路際には 『おいしいお野菜いっぱい食べよう』 という看板もありました。

しかし、その看板も伸びきった雑草に隠れており計画的避難区域 に指定

されているこの村で作物を作る事は現時点では皆無だと痛感しました。


土壌からは放射性物質の検出が今なお続いており、村の75%を占める

山地が放射能により汚染されています。


約20分ほど飯舘村を車で走らせて頂きましたが、たくさんの人が生活していたで

あろう村内で 僕は "誰一人見る事もすれ違う事はありませんでした"


見たのはパトロールの為、赤色灯を回したパトカーと対向車線の車だけです。


僕の目で見た現地の状況を皆さんにお伝えしようと助手席には常にカメラを

用意していましたが、様々な感情がこみ上げ、182日前まで多くの方々が豊かな

生活を送られていたその村にカメラを向ける事は出来ませんでした。


複雑な想いを胸に子供達の待つ南相馬市街地へと車を走らせます。