前回のブログで、着床前診断の大切さについて書きましたが、
書いている中で、思い出したことがあります。
私の夫はアメリカ人なので、私たちの子供は、いわゆるハーフ(最近はダブルとも言いますね)になるわけですが、
そのことを指して、
「ハーフの子だから絶対かわいいよ!」
といったことを言われることが、妊娠中に何度かありました。
この発言、している方は良かれと思って言っているのでしょうけど、つっこみどころ満載ですよね〜。
人種が混ざるとかわいいという発想が、何を根拠に?という感じだし。
そもそも「かわいい」の基準とは?とも思うし。
どんな見た目でも自分の子供はかわいいのでは?と思うし。
日本でモデルやタレントさんなど、容姿を売りにする方の中にハーフ(ダブル)が多いために、そういうイメージが定着している人が多いのかもしれませんが。
しかし実際は、モデルやタレントとして活躍している方たちって、地のにじむような努力をして、その位置にいるわけですよね。ハーフだったら生まれてそのまま育てばモデルになれるわけじゃない。
なので、「ハーフだからかわいいのは当然」という考えって、努力して美を追求しているプロの方たちに対しても失礼だなと思います。
にもかかわらず、ハーフ=かわいい(美しい)というルッキズムを、当然の常識のように持っている人って、多いんだなぁ〜と、「(あなたの子供は)ハーフだからかわいいよ」と言われるたび、再認識させられました。
私としては、どんな見た目であろうと、私たちの子どもは超絶かわいいに決まっている!と思っています。
きっと、世の中の親御さんは、みなさん同じ思いだと信じてます。
(中には複雑な家庭もあるので、そうばかりとは言えないですが……)
「ハーフだから絶対かわいいよ」という発言に対し、
「見た目は関係ないよ」
「どんな子でも自分の子どもはかわいいよ」
「というか全ての子どもはかわいいよ」
といった返しをするのですが、なかには
「いやいや、そうはいってもハーフのほうがかわいいって!!」
と、くいさがってくる人もいたりして、う〜ん……と思ってしまいました。
そういうことじゃなくてさぁ、伝わらないな〜、ってな感じ。
たいていの場合は適当に流すのですが、親しい関係の人となると、私も流すことができず、ちょっとグサッとした言い方で返してしまうこともありました。
「そういうのはルッキズムといって、差別の一種だよ」
と。
そこまで言うと、相手はハッとして、気づいてくれるんですけどね。
そんなやりとりをした人と、後日の会話の中で。
「子どもは、五体満足が一番だよ!」
と、言われました。
ん?んんん???
なぜ、突然、五体満足が一番発言、出てきた???
おそらくですが、「ハーフの子どもはかわいい」とは言っちゃいけないんだな、どんな子どもでもかわいいもんね、という流れからの、「どんな見た目でも、健康が一番!」的な発想になったのかな、と。。。
もちろん、健康が一番なのですが。
これ、妊娠中じゃなければ、いいと思うんですよ。
例えば私に小学生の子どもがいたとして、学校の成績が悪いみたいな話の中で「おたくの子は元気なんだから、健康が一番よ」と言われたら、そうだよね、成績なんて大した問題じゃないよね、という励ましの言葉になると思うんですよ。
ところが、私、まだ妊娠中なわけで。
生まれてくる子が、五体満足かどうかなんて、誰もわからないわけです。
その状態で、
「五体満足が一番!」
と言われたら、
それ、言われましても……。
という感じで、とってもモヤモヤしてしまいました。
もし、生まれてくる子どもが五体満足じゃなかったら、この言葉を私に言ったこと、この人はどう思うんだろう?と。
「あの〜、どんな障害が疾患があるか、生まれてみないとわからないけど、たとえ五体満足じゃなかったとしても大切な子どもに変わりはないので、愛情たっぷり注いで育てます」
と、答えました。
相手の方は、ちょっと「ハッ!」とした顔をしていたので、「またなんか、まずいこと言っちゃったかな」と思っていたことでしょう。
おそらく、「この人(私)、いちいち面倒くせーな」とも思われたでしょうね……(笑)。
いいんです。
確かに、自分でも「めんどくせーな自分」と、思っているので。
自覚、ちゃんとありますw
こういったことが、まったく気にならない人もいるのでしょうけど。
私は、やっぱり、いちいち気になっちゃうんですよね。
なぜ気になるかというと、私自身が、こういった「悪意のない偏見」を持っていたからだと思います。
とくに、子供の頃。
私は昭和50年代生まれなのですが、昭和の当時って、ハーフは珍しかったし、「ハーフ=かわいい」は普通に常識でした。ハーフといっても、白人x日本人のハーフですね。この時代は「欧米=最先端でおしゃれ」だったので。
また、学校でも家庭でも体罰が普通にあった時代だし、「五体満足で当然」という社会だったと思います。
私が通っていた小学校には特別学級があり、知的障害の子どもがいました。普通学級と特別学級は建物自体が分かれていて、交流することは基本ないのですが、時々ちょっと見かけることがあると、異質なものを感じていました。。。
特別学級の子と、児童館で一緒になることが時々あって、私を含め普通学級の子たちは「どう接したらいいかわからない」と戸惑って、避けるのが普通でした。一緒に遊ぶことは基本的になかったし、先生も積極的に交流させようとする感じではなかったです。
それでも時々、遊具の取り合いとか何やかやで、ふいに接触する時があって、気の強い男子は、特別学級の子をからかったりすることもありました。すぐ先生が飛んできて、引き離されるんですけどね。
しかし、その流れに乗っかって、私もちょっと、からかいに加わってしまったこともありました……。ほんと、今思うと最悪だったなと、謝りたい気持ちでいっぱいですが。
その子にも謝りたいし、その子の親御さんにも謝りたい。
覆水盆に返らず、ですが。
おそらく、この経験と後悔が、私の根っこにあるんだと思います。
そのため、ルッキズムや五体満足第一主義みたいな発言に接すると、過剰反応してしまうんですね。
「その価値観、更新してくれ!!!」
って、思っちゃうんです。
我ながら、面倒くさいやつだな〜とは思いますが、私が声をあげることで、気づく人がいれば、それで良しです。
そうやって、少しずつでも世の中から偏見がなくなっていけば、もっと生きやすくなるんじゃないかなと思います。
みんなちがってみんないい。
という有名な言葉がありますが、これが形としての言葉じゃなく、本当の意味で多くの人の心に浸透していくといいな、と思います。