私たちが、何らかの夢や希望を抱いているとき、
そこに、克服すべき障害や壁があったとしても、
他人から観て苦に想われそうな事柄でも、
当の本人は、楽しんでいる状態にあるので、
「生きている」ことを有意義に実感出来ます。

人生の最大の夢や目標が達成されてしまうと、
燃え尽きてしまい、明日への希望を失ってしまう、
ということが起きてしまうかもしれません。

夢や希望が、あまりにも大き過ぎると、
そこまで辿り着くために、息切れが生じてしまい、
あきらめてしまうというのが大半の場合かもしれません。

そのようにならないためにも、小さな目標、
ささいな目標を設定して、少しずつ、こなしてゆくほうが、
人生に息切れをせずに済むのかもしれません。

この時期は、物質界の社会性を反映するかのように、
夢も希望も、やりたいことも何もないという方も、
多々いらっしゃいます。

このような場合、自分自身は、
何のために生きているのだろう…
という発想に陥りがちになりますが、
そのようなときにこそ、自分自身の内側へと、
向かってゆくチャンスとなります。

外側の世界にやりたいものが無いというとき、
魂が、内側へ向かうようにと催促しています。

海や、プール、水の中で泳ぐとき、
「息継ぎ」をしなければ、
長く泳ぎ続けることが出来ません。

同様に、永い人生の間においても、
「息継ぎ」がなければ、息切れしてしまい、
途中で断念してしまうということが起きてきてしまいます。

魂が、休息を求めているときがあるということです。

それは、病気という症状でもって、
肉体を立ち止まらせて、一呼吸を置くように、
「息継ぎ」を要求することがあります。

それはまた、人生の転換期として、
魂は、「息継ぎ」を求めます。

自分自身は、がむしゃらに進み続けたいのにという、
思考状態を止めるかのように、魂のほうで要求する、
人生の「息継ぎ」は、突如として生じてきます。

それらは、次の段階へ進むために、
欠かすことの出来ないポイントです。

アセンションもまた、大き過ぎる目標かもしれません。

しかし、アセンションを果たしたことで、
ゴールを迎えるわけではありませんし、
その先の世界で、何をしてゆきたいのか、
どのようになってゆきたいのか、といったことは、
これまでの物質界という「この世界」よりも、
遥かに、無限に拡がる可能性を秘めています。

私たちは、誰もが、無限なる存在です。

息切れしたときは、迷わず立ち止まり、
一呼吸を置き、落ち着いたら、
また、歩き出せばいいのです。

自暴自棄になりそうになったら、
深呼吸をすることを忘れないことです。

深呼吸をして落ち着いたとき、
ハッとなって、我に返り、
自分自身を取り戻すからです。