もともと、現実が神秘であり、現実が正しく神話なのである。ただ私たちは日常の積み重ねにおいて、繰り返しにおいて、だんだんとそのことをつい忘れてしまうからにほかならない。

自殺したくなったとき、自分に意味が感じられなくなったとき、自分が嫌いになってしまったとき、私たちは自分の神話の側面を忘れているだけである。神話などない、平凡で何のとりえもないのが自分だ、、、と、かたくなに思うこともあると思うが、それは間違っている。

こちらが生んでくれと頼んだのでもなく両親の要請、神の要請によって私たちは生まれてきた。それは十分なドラマの始まりであり、まさに神話から私たちの人生はスタートしている。死も同様。あちらからお迎えが来る。こちらから願うわけでも申し込むわけでもない。運命としてあちらからやってきてくれる。だからこれも神話である。誰の人生もだから劇的なのだ。すごいのだ。

不運の連続で何ひとつよくない人生と嘆く人もいるかもしれない。しかしそれを神話として捕らえたら、よくできた神話ともなる。ただその役を受け入れてこなす意思があるかないかの違いだけ。私たちは色々な役柄をそれぞれ背負っているが、みんなで協力して、今の時代に、この地球で、それぞれの神芝居を演じているとも言える。変えられる部分は何でも変えたらいい。しかし変えられない部分は仕方ない。それを運命というのなら、そこにこそあなたの神話が息づいている。