臨死体験とは

 臨死体験とは、事故や病気などで死にかかった人が、九死に一生を得て意識を回復した時に語る、不思議なイメージ体験の事です。
 臨死体験は、「死後の世界を垣間見た体験」という説と「生の最終段階において弱った脳の中で起こる特異な幻覚に過ぎない」という説がありますが、「前世療法」や「チャネリング情報」との共通性や「弱った脳の中で起こった事にしては、はっきりとしている事」、あとから述べる「証拠」などを考えると前者の説が正しいように思います。
 このような現象はこれまでも知られていましたが、ややオカルトめいた民間伝承のたぐいと聞き流すだけでした。しかし、アメリカでは1970年代から、キューブラ・ロスとレイモンド・ムーディの研究をきっかけに、国際的な研究団体が組織され、研究誌まで発刊されているそうです。
 また、インタビューに答えたキューブラ・ロスの下記の言葉が、臨死体験がいかに当たり前の出来事かを良く示していると思います。
「どれくらい事例が集まったのですか?」
「あれから(医者であるロスが最初に出会った体験から)、20年になりますが、今日までに軽く2万件は突破しています。初めは件数を数えていたのですが、10年位前に2万件を突破した所で、記録するのも数えるのもやめました。結局、臨死体験というのは、基本的にはみんな同じ話なのです。だから、ケース例を増やすことにあんまり意味はないのです。」

臨死体験のポイントと他の情報との共通性

 臨死体験にはお花畑の中を歩いた、魂が肉体から抜け出した、死んだ人に出会ったといった、一連の共通したパターンがあり、日本人の場合は三途の川を見たというようにそれまでの死後観が反映したものになるようです。
 通常最初は、いわゆる「幽体離脱(体外離脱)」状態になり、自分の肉体の頭上などに浮かんでいる自分に気づく事が多いようです。しかも、その意識は肉体にある時と同じであり、自分の肉体に気がつかない時には、幽体離脱している事に気づかず、周りの人に話しかける事もあるようです。しかし、その状態では、会話はできません。
 この状態の時に、「自分が死んだんだ」というような事を理解するわけですが、中には「死ぬ前にもう一度あの故郷を見たい」というような事を思う人も出てきます。すると、意識(霊魂?)は、一瞬で、懐かしい故郷に飛んでいるのだそうです。
 つまり、イメージした場所に瞬間移動するわけですが、単に「過去の記憶」を思い出しているのではないか?という疑問がわきます。しかし、これは場所だけでなく、イメージしたものが例えば「母親」だった場合、看病に来ていた母親が、病院内のどこに居るのか分からなくとも、やはり、瞬時に母親の所に移動し、母親が遠く離れた知らない場所に居たとしても、やはり、瞬時にそこに移動するのだそうです。
 そして、その時の状況を生き返った後に確認した人もいて、その結果、意識の状態で見た事が実際にあった事だと確認されているのです。
つまり、意識の状態では、空間を越える事ができるのです。
 さらに、「過去のあの時」をイメージした人もいて、やはりその場合も「過去のあの時」に、意識は移動したのです。この場合も、「過去の記憶」を思い出しているのではないか?という疑問がわきます。
しかし、まず、過去の記憶とは、視点が違っていたのです。子供時代の自分を外から第三者の目で見つめているのです。しかも、この人は、「未来へ行きたい」と願い、知らない場所に居る自分を見てきて、何年か後に実際にそれと同じ体験をしたのです。
つまりこれらの事から、意識の状態では、時間をも越える事ができると言えるでしょう。

 この「意識の状態では、時間・空間を越える事ができる」という事が重要なのです。
この事は、別な見方をすると
「意識の世界には、時空間が存在しない」ということでもあるのです。

もう一つ、おもしろい体験があります。それは意識の状態になった人が、父親に話しかけても聞こえていないので、耳元に近づいたら父親の体に入った状態になり、父親の視点でものが見えるようになったというものです。この事は、「幽体離脱(体外離脱)」が、死にかけた人の脳の出来事ではなく、実際に肉体とは別に意識というものがあり、その「意識は自分の肉体を離れて存在できる」ことを示しています。

 さて、肉体を抜け出した魂(意識)は、その後、光へと通じるトンネルを抜け、お花畑などの美しい所へ行きます。そこでは、心の安らぎと静けさ、気持ちがいいなどの感じがするのが普通です。またそこで誰かに会う、誰かの声を聞く・光との出会い、光を見る、あるいは光に包まれるという体験(?)をする人もいます。そして光の存在と一緒にそれまでの自分の人生を振り返る人もいます。しかもその場合、辛い体験の相手の気持ちや喜びを与えた相手の気持ちを自分の気持ちとして振り返る、というようなことをします。

「未来からの生還」のダニオン・ブリンクリーの「人生回顧」

ダニオン・ブリンクリーの「未来からの生還」での経験が、人生回顧の例として解り易いと思いますので、以下に抜粋で紹介したいと思います。。

 もやの中に銀色の形がシルエットのように浮かび上がってくるのが見えた。それが現れ出ると、愛と言う言葉の意味すべてに、すっぽりと包み込まれていくように感じた。恋人、母親、親友に感じる愛情を何千倍にもふくらましたかのような、深い愛だった。その「光の存在」が近づくにつれ、愛情はさらに強まり、もはや抑えがたいほどの喜びになったのだ。自分の身体の密度が徐々に失われていくような気がした。身軽な霊魂となっていた。
 光の存在は、私の正面に立っていた。はっきりとした姿かたちというものはなかった。
 私はあたりを見回してみた。下には、私と同じようなほかの存在たちがいた。当惑したようなその存在達は、わたしよりもずっと遅い速度で揺らめいていた。彼らを見ていると、こちらの揺らめく速度も落ちてきた。自分の振動が減っていくのは、どこか不愉快だったので、私は彼らから目をそらした。
 今度は上に目を向けた。そこにはもっと多くの存在がいた。彼らは私よりも明るく、より多くの光を発していた。それを見ている時も、あまり気分が良くなかった。というのも、今度は私の揺らめく速度が上がっていったのだ。まるでコーヒーを飲みすぎたような気分になり、どんどん加速が進み、耐えられないほどの速さになった。そこで彼らから目をそらし、私のすぐ目の前まで近づいてきていた光の存在を、まっすぐに見つめた。彼と一緒にいるのは心地よかった。彼には一種の親しみを感じたのだ。光の存在のことを「彼」と呼んではいるが、その存在が男性か女性かは分からない。正直なところ、どの光の存在にも性別があったとは思えない。彼らから感じたのは大きな力だけだ。

 光の存在は、私を包み込んだ。すると、私の全人生の回想が始まったのだ。私の身に起こったことすべてを目にし、感じたのだ。まるでダムが崩壊し、脳裏にしまい込まれていた記憶全部があふれ出したような感じだった。
 この人生の回想は、楽しいものとは言えなかった。初めから終わりまで、私は胸の悪くなるような現実を目の前に突きつけられる事になった。私は実に嫌な人間だったのだ。利己的で意地の悪い男だった。
 まず最初は、荒れた子供時代だった。そこには意地悪な自分の姿があった。ほかの子の自転車を盗んだり、彼らに学校で惨めな思いをさせたりしていた。中でも小学校で、首から腫れ物が突き出ているといって甲状腺腫の生徒をいじめた時の場面がもっとも鮮明だった。ほかの生徒達も彼の事をいじめてはいたが、私のいじめ方が一番ひどかった。当時の自分は、からかい半分程度の気持ちだった。だがその一件を思い起しているいる間、私はその生徒の体に入り込み、自分が与えた彼の苦しみを感じ取っていたのだ。
 この感覚は、子供時代の陰湿な事件を思い出している間、ずっと付きまとっていた。かなり頻繁に、はっきりと感じられた。5年生から12年生にかけて、私は少なくても六千回は、殴り合いのけんかをしたはずだ。光の存在に包まれながら自分の人生を振り返っている間、その一つ一つのけんかを再び体験していたのだが、一つだけ大きな違いがあった。思い返している時の私は、被害者の立場になっていたのだ。
害者になったといっても、何も自分のパンチを食らったような感覚に陥ったわけではない。そうではくて、相手の苦悩や屈辱を感じ取ったのだ。回想する中、私はその人達の苦しみをいやおうなく感じ取ることになったのだ。
 それに、自分が両親に与えた悲痛も感じた。私は手に負えない子供だったし、それを自慢の種にもしていたのだ。
 こういう具合に、自分が送ってきた人生のありとあらゆる場面を思い返していた。そこには自分の感情、態度、動機がすべて含まれていたのだ。
 人生の回想を行なっている間に私が体験した感情の奥の深さは、驚くべきものだった。一つの出来事の中で、自分と相手の両方の思いを感じるだけではなく、それに反応した第三者の気持ちも、感じ取ることができた。つまり私は、次々と連鎖する感情の中に身を置いていたということだ。お互いが、とても深く影響し合っていることがよく分かった。ありがたいことに、そのすべてが悪い感情というわけではなかった。
 例えばある時、大叔父と一緒に車を走らせていたら、男が山羊を殴っているところに出くわした。山羊の背中を力まかせにたたいていたのだ。山羊は恐怖と苦痛から、さかんに鳴き叫んでいた。私は車を止め、どぶを飛び越えてその場に向かった。男が振りかえる前に、私は彼の後頭部を、思いっきり殴りつけた。大叔父が止めるまで、私は殴りつける手を休めなかった。山羊を逃がしてやると、私達は煙が立つほどの勢いでタイヤをきしませ、その場を離れた。
 その一件を思い返した時、その男が感じた屈辱感と、山羊が感じた安堵の喜びに、満足することができた。山羊が、自分なりの言葉で「ありがとう」と言っているのが分かった。
 だが私は常に動物を可愛がっていたわけではなかった。犬をベルトでむち打っている自分の姿も回想の中に現れた。犬がリビングルームのカーペットを噛んでいるところを見つけ、頭にかっと血を上らせてしまった時のことだ。もっと穏やかなしつけ方もあるというのに、この時は自分のベルトで犬を打ちつけたのだ。その時の事を思い出している間、私に対する犬の愛情を感じたし、犬も本気でカーペットを噛んでいたわけではないということが良く分かった。犬の悲痛と苦しみが、手に取るように感じられたのだ。
 また、自分が何をしたかということよりも、なぜそうしたのかということの方がはるかに重要だということにも気が付いた。例えば、人生の回想の中で、理由もなく人を殴りつけたことの方が、けんかをふっかけられたために人を殴りつけた時よりも、ずっと心が痛んだ。おもしろ半分に誰かを傷つけている自分を思い返すのは、何よりもつらいことだ。何か信じる理由があった上で誰かを傷めつけた時のことを思い返す場合は、それほどつらくないものなのだ。
 このことは、私が軍隊で情報部員として働いていた時の回想から、さらにはっきりとしてきた。
 私のおもな任務は、暗殺だ。ある時、自軍と共にカンボジアのジャングルに潜む、北ベトナム軍大佐を暗殺するよう、送り込まれた。航空写真から隠れ場が突き止められ、あとは私達がジャングルを抜け、彼を見つけ出すのだ。時間はかかるが部下達の目の前でリーダーを殺すというのは、敵軍の士気を低下させるには、うってつけの方法だと考えられていた。地図で確認していた場所で大佐を発見した。
 その瞬間は、翌朝早くに訪れた。隊が整列し、その日の行動の確認をしている時の事だった。私は位置につき、高性能の狙撃ライフルの十時線を、大佐の頭に合わせた。彼は兵士達の前に立っていた。
 「あの男か?」と私は偵察役に聞いた。彼の仕事は、情報部から渡された写真をもとに、標的となる人物を確認することだった。
 「やつだ」と彼は答えた。「列の前に立っている男がそうだ」
そこで私は引き金を引き、ライフルの反動を体に受けた。一瞬、間を置いてから、彼の頭が吹き飛び、ショックを受けた隊員達の前に、その体ががっくりと倒れ込んだ。
 当時、私が実際に目にした光景は、そういうものだった。
 ところが回想の時には、私はその北ベトナム軍大佐の視点からこの事件を体験していた。彼が受けたはずの体の痛みは感じなかったが、自分の頭が吹き飛ばされた時の彼の混乱と、体を離れ、もう二度と家には帰れないのだと気付いた時の悲しみを、感じ取ったのだ。そして、感情の連鎖反応が起こった・・・一家の働き手を失ったと知った時の彼の家族の悲痛が伝わってきたのだ。
 自分の手柄となった出来事が、すべてそういう具合に再現されていった。自分の殺人行為を目にするたびに、その恐ろしい結果を感じ取っていったのだ。
 東南アジアにいる間、女や子供たちの惨殺、村全体の破壊が、何の理由もなく、あるいは間違った理由で行われていたのを、この目で見てきた。そういった惨殺事件で私自身が直接手を下したことはなかったが、それでもやはり、その時の出来事も再び経験していった。しかも、加害者側の視点ではなく、被害者側の視点で。
 例えばある時、「アメリカの視点」に同調していなかったある政府の役人を暗殺するために、彼の滞在先の田舎のホテルで狙い撃ちするチャンスをうかがった。だが彼は、常にボディーガードや秘書といった側近達に取り囲まれていた。たまりかねた私達は、方針を変えることにした。夜遅く、誰もが眠りについている時に爆弾を撃ち込み、ホテル自体を吹き飛ばそう、ということになったのだ。
 私達は、まさにその通り実行した。その役人を殺した上に、ホテルのほか滞在客約50人ほどを巻き添えにしたのだ。当時、私達はその一件を笑い飛ばしていた。そして上司に、あの役人と行動を共にしていたんだから、死ぬのは当然の報いだ、と話していたのだ。
 私は臨死体験中、この事件をもう一度繰り返して目にした。だがその時、次々と押し寄せる感情と情報に、圧倒されてしまった。死んだ人々が、自分達の人生が突然断ち切られたことに気付いた時、私は正真正銘の恐怖というものを感じ取ったのだ。彼らの家族が、そのような悲劇的な事件で愛する人を失ったと知った時感じた苦しみも伝わってきた。多くの場合、彼らが消え去ったがために未来の世代がこうむった損失を感じることさえあった。
 全体的に見て、私は東南アジアで数多くの死を引き起こしていた。それを思い返すのは、とてもつらいことだった。唯一の救いは、当時自分は正しいことをしているんだと考えていたという点だ。愛国心という名のもとに、私は人を殺していた。その事で、恐怖心もいくぶんかは和らいだのだ。
 軍役を終え、アメリカに戻ってきてからも、私は政府のための仕事を続けていた。極秘の任務だった。それは主に、アメリカに友好的な人間や国々に、武器を輸送する仕事だった。
 人生を回想している時、自分の成し遂げた仕事の結果、世界中で殺人や破壊が行なわれたという現実を、いやでも目にしなければならなかった。「私たち一人ひとりは、人類という大きな鎖の輪なのです。」と光の存在が言った。「あなたの行動は、その同じ鎖の中にあるほかの輪に影響を与えるのです」
 その事を示す例がたくさん脳裏によみがえったが、その中でも一つ、特に目を引くものがあった。中米のある国で、武器の荷を下ろしている自分の姿が浮かび上がってきた時のことだ。その武器は、アメリカの友好国とソ連との間の戦争で、使われる予定のものだった。
 私の任務は、その武器を飛行機から当地のアメリカ軍部へと輸送することだけだったので、輸送が完了すると私は飛行機に戻り、さっさと帰国した。
 だが人生の回想の中では、そう簡単には立ち去れなかった。私はその武器と共に当地に残り、それが部隊集結地に分配されるところを見守った。それから、その中の銃を使って殺しが行われた現場までついていったのだ。罪のない人々を殺すのに使われる銃もあれば、罪人を殺すために使われるものもあった。だが全体として、その戦争における自分の役割が生み出した結果を目撃するのは、とにかく恐ろしいことだった。
 この中米への武器輸送は、雷に打たれる前に私が関わった最後の仕事だった。父親が殺されたと泣き叫ぶ子供の姿が見えた。その父親の殺害に使われたのは、私が運んだ銃だったのだ。
そこで人生の回想は終わった。

 人生を回想し終えると、今度は今見たことを振り返り、反省し、結論を出す時になった。私は、すっかり恥じ入っていた。自分が送ってきた人生が、実に利己的なもので、他人に救いの手を差し伸べることなどまずなかったという事実を思い知らされたのだ。兄弟愛を示す微笑みを投げかけたり、落ちぶれ、ちょっとした手助けが必要な人間に、ほんの1ドル手渡すような行為さえ、ほとんどしたことがなかった。そう、人生の中心は、自分だけだった。自分独りのための人生だった。まわりの人間のことなど、眼中になかったのだ。
 光の存在を見つめた私は、悲痛と恥を深く感じていた。非難は免れないと思った。私の魂を打ち震わせるようなすさまじい非難を受けるのだろう、と。人生を振り返って目にした自分は、まったく価値のない人間だった。非難以外考えられない。
 光の存在をじっと見つめていると、彼が私に触れているように感じられた。その接触から、私は愛と喜びを感じ取った。それは、おじいさんが孫に与えるような、無条件の思いやりに等しいものだった。「あなたという存在は、神がおつくりになる違いなのです」と光の存在が言った。「その違いとは愛です」。私たちは実際に言葉を交わしたわけではない。何かテレパシーのようなものを通じて、私たちは会話していたのだ。今でも、このなぞめいた言葉の真意は分からないのだが、とにかく、そう告げられたのだ。
 そしてもう一度、私は反省の時間を与えられた。私は人にどれくらいの愛情を与えてきたか?そして人からどれくらいの愛情を受け取ってきたか?その時目にしたばかりの回想から考えると、善が1に対して、悪が20という割合だった。
 ところが光の存在が離れていくと、私は重荷が取り除かれたような気分になった。省みた事で確かに痛みや苦悶を感じたが、そのおかげで人生を正しく歩んでいくための知識が身についたのだ。光の存在からのメッセージが、頭の中に響いた。「人類は、力ある霊的存在で、地上に善を創造するために生まれてきたのです。善は不遜な行為からは成し遂げられません。人々の間で交わされるやさしさ一つひとつから、成し遂げられるものなのです。小さなことが積み重ねられた結果なのです。なぜなら、それは無意識の行為であり、あなたの真の姿を映し出してくれるからです。」
 私は元気づけられた。人類を向上させる単純明快な秘訣が分かったのだ。つまり、あなたが人生の終わりに得る愛情の深さと善意は、あなたが人生の中で人に与えてきた愛情と善意に匹敵するということ。
実に単純明快だ。

 「それが分かれば、これから自分の人生をより良いものにできるでしょう」と私は光の存在に言った。
 その時、自分はもう戻れないのだ、ということに気付いた。もう人生は終わったんだ。雷に打たれたんだ。ぼくは死んでしまったんだ。

 どうですか?「宇宙の法則は一つしかない、それは、あなたが与えるものが、あなたの受け取るもの。」というバシャールの言葉や、「自分のして欲しいことを人にしてあげなさい」という言葉がキリスト教のゴールデンルールになっている理由が良く分かりますね。

さて、このような人生回顧の後、普通日本人の場合、生と死の境界線として三途の川などに行き、向こう岸に居る、目に見える「霊魂」や前に死んだおばあちゃんなどと会う人もいます。そして、「お前はまだこっちへはこられない」などと言われたり、なぜか川を渡らなかったりして、生還することになります。
 全員が、すべてを体験するわけではなく、人により組み合わせや、状況は違いますが、類似の体験をするとの事です。
 しかも、この中で「意識の状態での出来事」の他に、「光との出会い」や「心の安らぎと静けさ」「人生の回顧のやり方」なども、他の情報との共通する部分なのです。


http://www.geocities.co.jp/milkyway/4017/ikikata/newage/newage-1.html