私たちのこの時期においては、
寝ている間に観ている夢の世界は、
非常に現実的な世界です。

夢の中で出会う人に触れれば、しっかりと、
その固体肉体に触れた感覚があります。

これまでの人間は、1日の半分を寝てしまうから、
人生の半分を損したような気持ちでいたかもしれません。

しかし、私たちのこの時期、
夢の中の現実感が激しく増しているので、
寝ている間の夢の中でも、
起きて活動しているように想えます。

いえ、それは、単に「想える」のではなく、
これほどまでに現実感が増した夢の世界は、
寝ている間の夢の中でも、起きて、
活動しているのが手に取るように分かります。

目が覚めて起きているのは当たり前ですが、
寝ていても起きているという「昼夜不休営業」で
生きているのが分かります。

そのようになれば、もはや、
人生を半分損している感覚ではないし、
この感覚に至れば、私たちは、
多次元的存在であることが、
理解出来るようになります。

それは、3次元物質界が上昇を増し、
多次元領域世界へ流入し統合するために、
「この世界」の鍵が解かれつつあるからです。


しばしば、観えない世界と「この世界」とは、
表裏一体であると云われます。

観えない世界のほうが“表”で、
観えているはずの「この世界」が“裏”です。

この、太古からの教えでは、
観えない世界のほうが“現実”で、
観えているはずの「この世界」は、
“非現実”であると云います。

私たちは、これまで、“現実ではない”
世界を生きて来たのでしょうか。

いえ、確かに、「この世界」は存在しています。

固体に触れば、触れる感覚は確かにあります。

しかし、「この世界」の感覚は、実は、
それほど、リアルではないのかもしれません。

つまり、観えない世界のほうが、
「この世界」の感覚をさらに超えて、
もっともっと、リアルであり、
より、確実性が高いということです。

それがつまり、上のほうの世界から順々に、
「現実化」が成されるように降ろされてゆく、
という所以でしょう。


ひとりの少年が眠っていました。

ある人が、少年に向かって言いました。

「君は、いつも寝ているね、いったい、
いつになったら、起きるんだい?」

少年は、ある人に答えました。

「さて、どちらの世界に起きましょうか?」


ある人から見て、少年は、年がら年中、
寝ているように見えました。

一方、少年は、“年中無休”で起きていました。

ある人と少年とは、多次元世界の中で、
全く違う平行次元を生きているのかもしれません。

もしくは、ある人と少年とは、
肉体人間とスピリチュアル・ガイドの関係
であるのかもしれません。

この2人の関係が、スムーズな交流を開始したとき、
彼らはお互いに、多次元世界における交流を、
スタートさせたのであり、多次元世界に生きる、
多次元的存在であるということを、自ら知るでしょう。


多次元世界に生きていることを自覚して、
多次元領域の中の、様々な領域へ入ることは、
回転扉を潜り抜ける状態に似ています。

通常、回転扉の出入口は、2つしかありません。

しかし、多次元世界に生きている私たちは、
回転扉の入口へ入り、回転している扉の外側へ向かって、
たったひとつしかない出口を待つ必要はありません。

回転している途中の何処からでも、
外側へ向かって、抜け出ることが出来ます。

出口はひとつではなく、無数にあります。

出口が無数にあるということは、
入口も無数にあります。

多次元世界に生きていることを自覚すると、そして、
私たちが多次元的存在であることを自覚すると、
回転扉を潜り抜けて、360度、上下左右、何処へでも、
他の領域世界へ入ることが可能であると理解します。

実は、この回転扉とは、自分自身のことです。

http://mihoh.seesaa.net/article/120914492.html