さて、食料が入手できないときは、どうしたらいいでしょう。
確か、日本の米の自給率は100%でしたか。いも類は80%近いのですね。
非常時には、玄米食に戻して、良く噛む。すると、お茶碗1杯の玄米に、あとは、味噌汁に漬物類(一汁一菜)で済む。腸は、一日に最低16時間休ませるのが健康の基本です。したがって、食事は1日1~2食がベストなのでした。
エジソンさんがトースターを発明し、その販売戦略として、1日3食を印象づけたといわれています。そんな情報操作に、いつまでもお付き合いする必要はないでしょう。
朝は、水、そして、身体を温める飲み物(お味噌汁とか生姜紅茶)の類としたいものです。
もっとも、子どもは3食でいいでしょう。子どもは、成長期にあって、朝の食卓から愛を育んでいく…。大事な場です。慌しくても、わずかの時間でも、朝の親子の会話や、食卓に立ち上る湯気が豊かなこころを育むのです。
体調不良のとき、病気のときは、別ですよね。体温をあげて腸を休ませるに限ります。ショウガパウダーは重宝します。味噌汁やご飯に振り掛けるだけで体温があがる…。普段の習慣にしたらいいですね。
基本的なことを知ってさえいれば、垂れ流される不安情報を遠ざけることができます。野菜はベランダや窓枠や、庭で数%でも自給しましょう。摘み菜(スプラウト)は、理想の「一物全体食」となります。ひとつの命を、まるごと根っこまで食べることができます。しかも、採りたてでマイレージゼロです。
野菜は「成長点」をこそ、食べるのです。成長点こそが、その野菜の命です。葉っぱが生えていく首ねっこと、芯と皮とひげ根を食べなければもったいない。
米だって、胚芽部分がいのちの発生点ですよね。それらを成長点というのです。
例えば、繰り抜いた人参の一部分を何個集めても、命ある1本の人参にはなりません。カロリーや栄養素をどのようにこねくりまわしても、いのちある形はつくれません。そこに、西洋式栄養学の限界があるのでしょう。
自然農で育った野菜は、捨てるところがない。ときが経てば、水分が枯れていくにしても、昨今の野菜のように腐ることがない。どろどろに溶けることもない。サプリメントに頼ることもないのですから、結局は安上がりになるのです。それに洗わなくたって食べられます。
社会は一気に健全化して行くでしょうね。病人も一気に減るような気がします。
日本人は、小食に回帰するだけで、食料自給率は瞬く間に100%に近くなる。かといって、「垂れ流され続ける不安情報を、無視していい」と、言っているわけではありません。瑞穂の国に回帰する絶好のチャンスだと捉えましょう。