| 食べ物による病気治療は昔からあり、目新しいものではない。だから人々は馬鹿にして真剣に取り合わない。 利口な人ほど、食べ物で治す事など出来るはずがないと、思い込んでいて、食物療法を冷笑し無視する。 特に学者程その傾向は強く、食べ物が化学薬品や医療用放射線や手術に勝るなどと言う事は決してありえないという固定観念を持っている。 食べ物で難病、奇病が治るのなら、食べ物は昔からあるのだから、薬品や医療技術は必要なかったはずだと反論する。 今、ほとんどの医師はほとんどの場合、何を食べても良いと答える。栄養が十分にあってバランスのとれた食べ方をするのなら、何をどう食べても良いと病人にも家族にも言う。 現代医学と栄養学が、食べ物をエネルギー材と栄養素材としか見ないのは、目に見え難い生命現象の最も重要な部分を見ないで結果だけを問題にしている何よりの証拠である。 それ故に、食べ物はエネルギー(カロリー)と栄養素さえ備わっていれば、どの様に食べ様と構わない、と言う指導や献立となる。 昔は病人に食べてよい物、ダメな物をきちんと注意したり禁止する医者が多かった。 それが医薬品の開発と使用によって、食べ物の適不適などの問題ではなくなった。食べ物の薬効は化学薬品に比べれば微々たるものという考えからか、何でも食べさせる代わりに強力な薬を大量に使用する薬漬け医療へ変った。 |
| 食の信条として、また思想として用いられている言葉に【医食同源】や【身土不二】がある。 医食同源とは簡単言えば「食生活がきちんとしていれば健康でいられる」という事である。 これは神農の【薬食一如】と同義である。 身土不二とは遺跡テリトリーと似た概念で「身体(身)と環境(土)とは不可分(不二)である」という事で、 「身体と大地は一元一体であり、人間も環境の産物で、暑い地域や季節には陰性の作物がとれ、逆に寒い地域や季節には陽性の作物がとれる。暮らす土地において季節の物(旬の物)を常食する事で身体は環境に調和する」 というものである。俗に住んでいる所の一里四方の物を食べて暮らせば健康でいられると言われる。 これを持ち出すと「時代遅れだ」とか「馬鹿な事をいうんじゃない」と誰もが笑う。 食性という視点が欠如している為に飽食の時代となった。摂取する食品が多彩になった事が、食生活の豊かさであると錯覚し世界中の食べ物が胃の中を通過したり、季節はずれの物を食べる事で、いつの間にか健康が損なわれている。「何をどう飲み食いしようと勝手だろ!」と貴方は言うかもしれない。 だが結果が全てを物語っているではないか? |
| 島田彰夫氏は「人類はそれぞれが居住する風土の伝統的な食生活をするのが正しい」と言っている。 これは石塚左玄氏や桜沢如一氏等の、食養界の先人が説いてきた身土不二の思想にほかならない。 近い将来、動物性主体の食生活が誤っている事に気づくであろう。穀物主体の食生活しか難病や奇病は治せない。 大森英桜氏の正食医学の薬として用いられる食べ物は、正しい農法によりつくられる玄米・麦・そば等の穀類や豆類、 身土不二を守った季節の野菜、果実類、海草等と自然塩、天然醸造法による調味料類である。 真に玄米正食は「素食ではあっても決して粗食ではない」 |
