●リーマンさん自身の問題解決の軸 ・・私も人間ですから、生きていく上で色々なことがあります。私は、いつも自分が「 生きているだけで有り難い 」という視点で、物事を考えるようにします。すると、悩むような問題は消えていきます。神霊にお伺いする場合、調べれば分かる事を伺うとスルーされ、それを繰り返せば、頭をピシーです。本当に正しい判断は伺うものではないのです。一々聞かなくても内在神が導きますので、ナントナクを選別していくものです。感謝の先祖供養と神仏への感謝想起が、深まると、ナントナク進んで行くものです。これがカンナガラ(神と共にいる状態)の一面です。

●カンナガラ・・内在神と自己を感じながら自然と全てに感謝しながら生活していく。これがカンナガラ状態です。私達も、胸の奥に居る内在神を意識した生き方、をして行くと、胸が熱くなり、自己の中に既に神が居た事を知るでしょう。人生には、楽しい事も、悲しい辛い事も、沢山有りますが、 カンナガラ(神と共に居ること)に目覚めると、不幸から逃げる思いや、神に助けを祈願する気持ちになりません。もう、神と一体の上での不幸ですから、ただ全力で明るく味わおうとする心が沸いて来ます。そうなると、訳の分からない奇跡が勝手に来ます。そして、神を称え感謝する気持ちが出て来ます。正しい神懸かりは、回りも本人でさえ認識できないもんです。これが、古神道の カンナガラです。神と同体なんです。分離では無いのです。

●魂の旅・・私達は、生まれ出る前は、過去生での返さなくてはいけない借り物が、どれ位あるか認識してます。その借り物を、返しながら、人生において自己を向上させることが出来るか、思案します。生まれ出ても、借り物を返すのに、疲れ果て、余計な借り物を増やしそうだと、自身で判断すれば、生まれる機会をパスします。ただ、霊界は前世での行いの反映の状態で、固定化されおり変化が無く、もし霊界での環境を変えたければ、現世へ出て魂を成長させるしかないです。余りにも借り物が溜まり過ぎた場合は、大きな返済をする為に、自ら選択して、不自由な身体や病気、家庭環境を選んで生まれます。しかし、生まれると本性を出す為に記憶が消されます。貸し借りを記憶した上では、折角の人生が消化試合になり、魂を成長させるショックが起こらないのです。明永い 魂の旅路で、今ここに来たという事は、高い倍率を乗り越えて来たのです。生まれる時、自己魂の消化しなければならない、善を受ける因縁、負を受ける因縁、の両方を産土神(内在神)と共に、人生設計の上で大まかにバランス配分を自分自身で決めて、生まれたのです。何故、自分がこんな目にあわなければと、なるのは当然です。では記憶さえ過去生から切れずに認識できれば、喜んでこの不幸に耐えて、受けることが出来るのにと思うかもしれません。しかし、これでは消化力が弱いのです。

●悩み・問題・苦しみ・・人間の悩みや問題の大半は、今生自ら招いた、逃げや依存が生み出した事です。自分自身が、感謝する原点を見る生き方に変わらない限りは、悩み、問題は尽きません。何事も自身が生かされている上でのことなのを忘れると、苦しみが始まります。我良しの考えだと、神が罰を与えるのでは無く、自ら自然に苦しい状況に成り易い環境になって行くのです。そしてその人は悩むのです。問題から逃げると、問題は巨大化していくだけです。人間には、問題は起こるものです。人は悩むことから逃げられないのならば、逃げずにその悩みを冷静に眺めれば良いです。懸命に生きてさえれば、時間が成る様に成る解決をしていきます。人間個人の因縁の消化は、生きる他の人間が肩代わり出来る性質のものではありません。例え、そのような因縁があると伝えられたところで、何の解決にもなりません。短い人生期間は努力が大事です。受身のまま、何かを期待していても、何も起こりません。何があろうとも 生かされている上 でのことです。ようは、自分に起こることは、良いことも、悪いことも全て受け入れて逃げないことです。そして、悩まないこと。一番良いのは、悩みそうだと気づいたならば、生かして頂いて ありがとう御座います と、悩む代わりに繰り返すのが最善です。霊体の生命エネルギーの漏電を防止します。防止できれば、この世で生きる事が、楽しくて仕方なくなります。

●ただ人間は弱いもの・・判らない だけにしておくと、神 を讃え、大事にする気持ちが続きません。太神は、先祖を通じて、困る諸霊を慰め助ける慈悲の心が有る人達には、現実界において、それ相応の干渉を、自分で決めた人生設計図に善なる影響が起こることを許しています。苦しみ、困る弱い存在、まして見え無い存在(これ、大事)に、見返りの無い思いやりの気持ちを向ける事は、強い者勝ちの心の人間には、出来にくい事です。強い者勝ちの人は、神ばかり拝みたがります。神霊は、それを観てます。”生かして頂いて ありがとう御座います” の先祖霊と神霊への実践は、各人が自分自身で気に入れば、すれば良いだけのことです。なんの縛りも、強制もありません。もし、実践されれば、自分自身で一歩一歩、階段を上るように、自分色の気付きが有るでしょう。生老病死から逃れる事は出来ません。人生には色々あります。 その中で自分が生かされている事自体が奇跡的に有り難い事だと目覚め、自分に内在する良心の磁気への「原点への感謝」に素直に生きられる人は、幸いな人です。これが答えだからです。さて、何が正しいかは、各人の思うことを実践すれば良いでしょう。 今、この時期には、黙って実践・実行あるのみです。きっかけは、 ”ご利益を期待して” であっても、感謝行が正しいものであり、これからの時代波動に沿うものなので 力 を呼びます。スサノオの大祓が、発動して行きます。

●輪廻の最終段階の時代・・神が一方的に関与、裁くのでは無く、自業自得で自ら自滅するのか、上昇するかの人類の選別をオートマティクに進めて、優良な心根の魂を自動選別する事が始まっています。輪廻の最終段階の時代ですから、チャンスは今まで沢山与えられていたようです。遥か昔の太古に決められていた事です。最後の最後の、通告、布告がこのブログです。最後の時期の今、素直に受け取り1厘1%でも内在神に心を向けれるかどうか・・・。この時期で、信じる信じ無いを議論する必要はありません。縁の有る魂には、素直に響きます。