伊勢-白山 道 さんブログより


●成功者・・私が感じる神は、人の人生は一瞬なので、出来るだけ苦労(明るくこなす)してご利益なんか受けずに、最後は惨めでも、すべてに感謝する心があれば、成功者であると伝えます。自分の心の刀が折れるまで、悔い無く生き切りましょう。それに、この世に生きている限り、悩みは尽きないように順番にやってくる法則がありますから、やってくる悩みは、拒まず、現状に感謝しながら今を生きれば、それが、その人には最高の人生です。
●人間の定め・・私達一人一人は、それぞれ生活環境が違います。それぞれが、自分の小宇宙の中では主人公です。その小宇宙の中で、自分を納得させなければ生けません。他人の評価は、全く関係ありません。隣の小宇宙を見て羨ましがり、自分の宇宙を卑下する事は一番愚かな事です。隣の小宇宙の主人公も、決して満たされた心境では無く、満足をしていないものです。その主人公にしか分からない、悩みと不安が必ず有ります。それが、現実界に存在する間の 人間の定めです。この世に生きている短い期間は、魂を大きくさせる為の恩寵として、性・老・病・死の悩みや恐れから、逃げる事は誰も出来ません。生きている最中の私達には嫌な事ですが、これは贈り物なのです。人間は死んでから、自分の魂の遍歴を全て思い出します。その時、誰もが後悔するものです。なんだ、そうだったのか・・・、全ては必要で意味が有った事だったんだ。 逃げずに、もっと受け切れば良かったな・・。
●人間の罪・・赦す、赦さ無いの鍵を握るのは、自分の良心(=内在神)です。自分が悪い事をしたと思うならば、それ以上の善行を、見返りを期待せずに実践すれば良いのです。神霊から観た、 人間の罪に対する考えは、サッパリし過ぎて誤解を生む程のものです。言葉で説明すると、語弊が生じますが、カンナガラ(神と共に)の見地から観ると正しいと私は思っています。それは、「潔ぎ良ければ罪は無し」と、伝えて来ます。罪を犯しても、それを認めて、その裁きが有るならば受ければ良いのです。 裁きから逃げたい、罪を軽減させたいと思う考えが有ると、神に許しを乞い不安に悩むという、みっともない事をします。自己の内面宇宙に預かる神と共に、この現実界を思いっ切り生きれば良いのです。 自身に起こる事は、全て潔ぎ良く受け入れて、良い事も悪い事も有り難く味合うのです。そこに有るのは、ただただ現状への感謝の思いです。
●不満な環境・・今の惨めと思い、 不満だらけな環境を受け入れて、感謝できる所を見出そうとせずに、不満な気持ちを持ち続けると、その不満な現状さえも後で、有り難かったと思える事に、未来は進む法則が有ります。つまり、不満な現状よりも、もっと悪い状況になれば、過去の不満だらけの時は、まだマシだったと成るのです。人生は、感謝の気持ちが持てる様に、気付ける様に、黙々と流れるようです。現状に感謝出来なければ、より下の環境へと流されて、過去の有り難さに、気が付かされる法則が現実界に有りますので、注意しなければ生けません。どんなに不満があり、苦しくても、現状に感謝出来る部分を見出して、”有り難いなあ~”と気付いて置きましょう。この気付いて置いた、部分は、無くしません。この感謝を置いた点が、増えていけば、いつの間にか、全体が、少しづつ持ち上がって、上へと向かい出します。
●誤解・・もし、 人から誤解されて呪われた時は、感謝の念を持つと影響を受け難くなります。水と油で、引き合わないから来れ無いのです。もし、お互いに呪い合うと、波動が合うので誘導されて来ます。ミサイルのロックオン状態です。そうなると、呪詛の力くらべになり、両者とも疲弊します。生活していて、知らずに怨まれていることは、有り得る事です。普段から、感謝の念を持って想起していれば、何も心配要りません。 ヒョイヒョイとかわして行くでしょう。
苦しい時こそ・・感謝をします。苦を逃げれば、苦は増幅して戻ってきます。苦しい事に、感謝すると・・苦が逃げ去ります。苦しい現状でも、生かされている ことに気付き、自分なりに感謝する人間は人種、貧富、宗教を問わずに根源神の霊流を受ける時代になっております。根源神の息吹を受ける人は細胞が活性若返りしていき、現状のアタリマエなことを当然として、その上で、なお個人利ばかり思う人は、新しい息吹を受けれなくて、細胞が死んでいきます。苦しい現状でも既に生かされていることに気が付き身の回りの 人々や環境に対して、生かして頂いてありがとうございますと、思えなければ生けません。
判らない不安・・判らない不安は、生きている人間全員にあることです。人間は、熟考してどの道を進んでも、苦労はあります。生きることが修行なんです。結論を出したければ まず生かして頂いてありがとうございます と、思いながら生活をして 自ら決断しなければ、なりません。他 人の指図を受けても、不安は消えず後悔だけが残ります。私も、人生の節目で決断しなければいけない事が、いくつかありました。ギリギリまで、考え、自分なりに努力した結果(感謝行をしつつ) 決断しました。その時の心境はこれで、結果がどうであれ 悔いは無い とゆう気持ちでしたね。
個人の決断・・個人が決断をするには、どうしたら良いか。感謝の先祖供養を実践して、余計な霊的磁気からの干渉を少なくした環境で、決断すべき物事へ、自分が出来る努力をする事です。 そうすると、迷いが生じない結論が、自分で下せます。 ああも、こうも無く、ストンと決断が降りて来るものです。その決断により生じる結果には不安は無く、全て受け入れる覚悟が出来ます。感謝の供養・想起の実践下でも迷う間は、決断しないことが最善な答えの場合があります。まだ、体験・努力すべき課題が残存するからです。この努力が中途半端だと、後悔の元に成ります。 
また、占師や他人に判断を委ねた場合は、必ず後悔と不安が尽きない方向に年月が経過しても向きます。自分が消化するべき課題を放棄して、未消化のまま残存させているからです。 また、同じような課題が到来します。
●宗教・・信仰は個人のものです。家族も夫婦も関係ありません。自分自身には、世界に一つしかない、内在神への独自な宗教しかないのです。 他人と宗教を共有できる信仰は意味がありません。救われないのです。 自分教しかありません。
●自分を救えるのは自分・・これは、真実であり、答えです。奇跡を求めて寄り道せずに、自己の中の神を感謝で出すしかないですね。これが岩と開きです。感謝の気持ちのみで生きれば、 最良の決断を自ら下すことができます。感謝行の素晴らしいのは、本人にとって最適な判断ができるように内在神が導きます。名無しの最高神が。自心を殺してまでの、対外的な面で努力すると、自分の体が悲鳴が出るものです。バランスが難しいものです。はやり、何事も心に押し込まずに、感謝で溶かすことに、この世の真理があります。
●悩みが気にならなくなる秘訣・・簡単です。明日、死ぬかもしれないと思えば良いです。つならないことは消し飛び、今するべき事を探します。人生とは、自分で細かい決断をする連続です。分からない時は動かないこと。したくなるまで。普段の感謝想起と感謝の先祖供養が大事です。決断が付いてきます。
●カンナガラ・・自然な気持ちに任せるのがカンナガラ。自動運転です。この自動運転が正しいかを検査するのが、日々の先祖供養と感謝想起です。
悩みには・・①生かされている上での事と受け入れて、永久に続く悩みは無いとの立場に立って悩みを見て、逃げない事。②先祖霊と、関わる諸霊を感謝供養する。③神霊へ、ただただ、感謝をする。これにより、天 と 地=自分 と 精霊 の3つが、正しく働き作用して、それぞれの現状に現れて行きます。
新たな発見・・普段から自身の環境や 生かされている ことに感謝をしていると、悩まなく成っていきます。また、良いことも持続するように成って行きます。人間は、現状への感謝を忘れていると、今の環境が有って当然なものになります。有って当然からスタートして、その上での願望のことで、悩み苦しみます。有って当然な事は、いつでも簡単に消え去ります。無くしてから気付いても、遅いことが多いです。有って当然にしてしまっている事が、皆さんにも有る筈です。ここで、思い起こして見て感謝してみると、 新たな発見が有りますよ。生かして頂いて ありがとう御座います