昭和天皇の苦悩を「伊勢-白山道」リーマンさんが書かれています。
一般の方は、「え?本当なの?」「ユダヤとかロックフェラーって何?」と感じるかもしれませんが、このブログをご覧の方は、下記の内容が容易に理解できると思いますのでご参考まで。
伊勢-白山 道
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou
毎年、この時期になりますと、天皇家と靖国神社の問題が再燃します。
何故、昭和天皇は靖国神社参拝を辞めたか、・・・この理由を知ると、今後も今上天皇陛下の靖国参拝は有り得ません。
まず、観えて来た光景は、終戦直後の昭和天皇とマッカーサー元帥との会見の模様でした。
おそらく、2回目か3回目の会談だと感じます。
その時、マッカーサーから昭和天皇に明かされた情報がありました。
日本の大臣と大使の計2名と軍属の1名が、武器商社から超大金をスイス銀行に貰う見返りに、日本を戦争へ導くように誘導した事を教えられました。
ある一人の大臣が外国からの命を受けて、金銭により懐柔した他の2名を使用し、日本を戦争の舞台へ導いたのです。
これを聞かされた昭和天皇は、深い衝撃を受けられました。
でも、その時の昭和天皇には、まだ、その重臣達を信じたい気持ちが半分ありました。
その話を聞かされた後、マッカーサーとの記念写真を撮られたと感じます。 その時の陛下の目はショックの余り虚ろでした・・・。
しかし、後年、色々な外国の経済界の重鎮や、戦争とは表面的には無縁な外国の貴族達から得た情報が、マッカーサーが伝えた内容を裏打ちする事が重なるに連れて、陛下は段々と確信を深められました。
また、戦前戦中に交わした、その重臣達との会話、その時の彼らの表情を思いだされては、裏切られた悲しみと、任命した御自身の責任を感じ、国民と国土への深い慙愧の念に苦しまれたのでした。
この3名が合祀された靖国神社に、今上天皇が参拝する事は、今後も無いでしょう。
昭和天皇の思いを聞かされているからです。
そもそもの始まりは、この大臣が若い頃にアメリカの大学へ留学した時に始っています。
その時、ユダヤ系財閥の子息と知り合っています。
その後、彼はユダヤ財閥から学費の支援に始まり、官僚時代の出世の為の工作資金、政治活動資金の全面的支援を受けて順調に出世したのでした。
そして時は流れ、ジュネーブ特別総会において日本の代表者として交渉を一任され、日本に有利に譲歩されたオフレコ案件を黙って一存で握りつぶして、逆に啖呵を切って国際連盟から日本を脱退させました。
これが後の太平洋戦争への布石と成っています。
戦後の昭和天皇の思いは、国民への謝罪だけでした。
敗戦後、直ぐにでも自害して責任を取ろうとされましたが、その度に明治天皇が現れて、思い留まった様です。
「そんな楽な道を選んでは駄目だ」と・・・。
そして、天照太御神の日輪を拝した時、自らの命と引き換えにして、日本を再興させてから死ぬ決意をされました。
それから日本全国を励ます旅に出られたのです。
そして日本が順調に復興を始めて、最後の願いが沖縄の返還でした。
戦争当時の沖縄国民の事を思うと、申し訳なさで昭和天皇の胸が裂ける様な痛みを感じられたとの事です。
沖縄返還の為なら、皇室の全財産を無くしても良いと考えられた様です。この沖縄への思いは、今上陛下にも何度も伝えたとのことです。
そして昭和天皇が取られた行動は、イギリスとオランダ訪問でした。 この時、世界には伏せられている、影の支配者に面会して、沖縄返還を願われたのです。
この時、皇室の保有する隠された金融財産の大半が無くなったと感じます。 その翌年、アメリカから沖縄が返還されました。 そして、その数年後にアメリカへは、御礼の旅に行かれました。 この時、ロックフェラー私邸に御夫婦で宿泊されたと感じます。
現在、影の支配者は、ドイツと近隣小国へ窓口を移動させているようです。
8月8日の今日、以上の様な歴史のビジョンが降ろされるとは、朝まで思いもよりませんでした。
八は末広がりです。 昭和のワでもあります。
今後の日本は、世界に取って重要な窓口に成るでしょう。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
小泉元首相が熱心に靖国参拝をしている理由・・・。
福田首相の動向に注目したいです。
