白洲は太平洋戦争開戦の二年ほど前から、東京の郊外に田圃と畑のついた農家を探していた。

食料は目に見えて少くなっており、戦争がはじまれば食べものを確保しておくのが

一番必要なことだと思っていたのである。


そして白洲は、第二次世界大戦にあたって、参戦当初より日本の敗戦を見抜いていた。



彼が残した言葉のひとつ


「われわれは戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない」