わたしは高校生の時の修学旅行でグラバー邸にいった。


彼の功績・日本での役割(使命)はなんだったのか?

色々な思いが頭を駆け巡る。



薩摩・長州・土佐ら討幕派を支援し、武器や弾薬を販売。

薩摩藩士らの海外留学の手引きもしている。

1865年には、大浦海岸において日本で初めて、蒸気機関車(アイアン・デューク号)を走らせた。

1866年(慶応2年)には大規模な製茶工場を製造して本業にも力を注ぎ、

1868年(明治元)、肥後藩と契約して高島炭鉱の開発に着手。

また、長崎の小菅に船工場(史跡)を作っている。


明治維新後も造幣局の機械輸入に関わるなど明治政府との関係を深めたが、

武器が売れなくなったことや諸藩からの資金回収が滞ったことなどで

1870年(明治3年)グラバー商会は破産するが、高島炭鉱(のち官営になる)の実質的経営者

として日本に留まる。

1881年(明治14年)、官営事業払い下げで三菱の岩崎弥太郎が高島炭鉱を買収してからも、

所長として経営に当たった。また、1885年(明治18年)以後は三菱財閥の相談役としても活躍し、

経営危機に陥ったスプリング・バレー・ブルワリーの再建参画を岩崎に勧めて

後の麒麟麦酒(現・キリン)の基礎を築いた。