成龍です。

 

我が町に伝わる、秋元公のお話です。

 

江戸時代の総社領の藩主であった秋元公は、

 

初代だけではなく他地へ移封後も、代々総社領民

 

のことを気にかけていました。

 

天狗岩用水の造営

 

初代長朝公は、慶長7年から9年(1602~1604)

 

領民に対し3年間の年貢を免除し、水利の乏しかった

 

総社領内に他領から用水を引き、領民の暮らしを豊かにした。

 

越訴に対する尽力

 

幕府の老中であった4代喬知公は、宝永6年(1709)秋元氏

 

の後、総社領を治めた安藤出羽守の暴政に対する総社領民

 

の越訴(直訴)に対して、その訴えを認める裁定を引き出した。

 

遠方からの義援米

 

8代永朝公は天明3年(1783)、浅間山の天明の大噴火により

 

甚大な被害を受けた総社領民に対し、遠く山形から義援米を

 

贈った。

 

当時の農民も一握りの米を出し合って、1776年、秋元氏の

 

菩提寺である光巌寺に力田遺愛碑(田に力めて愛を遺せし碑)

 

を建てました。

 

封建時代に領民が領主の業績をたたえて建てた碑はめずらしく

 

その言葉には、年代を超えた領主と領民の暖かい人間関係も

 

見てとることができます。

 

今では、隔年ですが秋元公をしのぶ、総社秋元公時代まつり

 

開催されています。

 

余談ですが、秋元氏の家門が我が家と同じで  (゚o゚;

 

総社秋元公時代まつりの武者行列