戦時中は生理用品が手に入らず大変な思いをした、という現在90代の方の投書を新聞で読みました。
戦時中に東京女子大に入学されたものの講義はほとんどなく、工場に動員され寮生活。当然食事も満たされるものとは程遠く、生理が来ても「とりあえず」の綿も余り布もない。いやな思いと苦労を重ねているうち、栄養不足や精神的な苦痛などから整理も滞るようになり・・・
母の話を思い出しました。
開戦前後あたりに結婚した父と母です。
おとうさんがね、脱脂綿を山のように買っといてくれたのよ。ほんとに助かったわ。脱脂綿どころか晒や木綿の布切れすらそんなことには使えない!って時代だったからね。困った人がたくさんいたんだから。
父は関西の財閥系の会社に勤めていました。もしかしたらまだ物資があるころに、会社から「払い下げ」のような形で支給があったのかもしれません。
父は幼いころから母縁が薄くて生母、次の継母とも子どものころに死別、2人目の継母に育てられたようです。姉と妹がいましたが、別居だったようです。
そんな女性とはあまり縁がなかった父がよくぞ❣と思います。
もっとも同僚の方たちがみな買うので自分も、ということだったのかもしれませんが。