【142】からのつづき
大垣城の天守は昭和11年に国宝に指定された後、昭和20年に戦争で消失し、昭和34年に4階4層の姿が復元されている。
1・2階は、関ヶ原合戦や当時の武士に関する説明・展示スペースなどになっており、それらを通じて当時に思いを馳せた後、4階の天守に上がり関ヶ原方面を眺めるが、マンションなどに遮られて合戦エリア全体を見渡すことはできない。
ほかに入城者が少なく、ゆったりした時間を過ごすことができた大垣城をあとにして、次の目的地に向けて立派な建物の大垣市役所脇を歩く。

水門川に沿ってしばらく歩くと、白い建物の脇でたくさんの人々がスマホの画面を見つめている。
ポケモンGOやデジタルスタンプラリーの類らしく、白い建物の前にある駐車場に停めた車から出てきた人も、スマホを見ながら人混みエリアに加わっている。
白い建物は、「奥の細道むすびの地記念館」で、元禄2年3月に江戸を発った松尾芭蕉が、東北を巡ったのちに日本海沿いを南下しながら綴った「奥の細道」のラストページが大垣であることから建てられたものだが、表の賑わいに対して館内はさほど混んでいない。


水や月を詠む名手のイメージがある松尾芭蕉の代表作のむすびの地が、「水都」大垣であることは知っていたが、今日は実際に水の豊かさを感じながら大垣市内を歩いたので、少しだけ偉大な旅の先達と同じ空気を吸えた気がする(芭蕉が大垣に着いたのは8月ですが…)
「奥の細道」は、あれだけの大紀行ながら文字数にしてみると、創作部分を含めて1万文字程度にまとめられており、駄文長文の私からすると神の領域。
比べることも憧れることも無礼千万だが、いつかあんな筆の使い手になれたらなぁ、なんて見果てぬ夢を抱きながら次の目的地を目指した。
(つづく)