かぼちゃ電車 | 酔いどれパパのブログ

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「お風呂」と「酒」と「路線バス」に関する駄文を書き連ねております。

(前頁からの続き)

前夜に高松のホテル、居酒屋、バーと、それぞれに結構呑んだ割には早朝に目覚め、朝食のサンドイッチとコーヒーをおいしくいただき、食後にはバスタブに湯を張ってノンビリできた。
40を過ぎてから外泊の際は、9時ごろまで寝ることが多く、今回もその想定で列車の席を押さえていた。

せっかく早く目覚めたので、出発を繰り上げようと高松駅の窓口に行くが、岡山行きのマリンライナーは2時間先の列車(つまり私が押さえていた列車)まで、指定席、グリーン席とも満席。コトデンに乗って時間をつぶそうかとも思ったが、岡山で一息つきたい気持ちもあるので、改札を抜けて、ホーム上の普通車の列に並ぶ。

次の列車は、岡山到着が845なので通勤時間にかかるせいか、列は長く着席は覚束無い。瀬戸大橋は、夜行列車のサンライズ瀬戸や高速道路部分では渡ったことはあるものの、明るい時間に上り列車で通った記憶がない。それゆえ、早めにグリーン席を確保し、眺望を楽しもうと思っていたのだが、今や通勤ラッシュの様相を呈している。

立って瀬戸大橋を渡るのもオツなものだと気持ちを入れ替え、通勤客の大群とともに到着した列車に乗り込む。と、隣のドアの降車に時間がかかったのか、そちらエリアのシートの埋まるペースが一瞬遅れ、進行左側の前向き席をタッチの差で確保できた。

発車時刻になり、昨日から降り続く雨の中、通勤客と若干の観光客を乗せたマリンライナーは高松駅を後にする。ここから坂出までは、私が小学生の頃に初めて四国の鉄道に乗った区間だ。私の小学生最後の日、そして国鉄最終日である昭和62年3月31日に「謝恩フリーきっぷ」で同級生と2人で宇高連絡船に揺られ四国に渡り、高松から坂出まで、当時投入されたばかりのキハ185形に乗った。その日のうちに東京に戻るため、坂出からすぐに普通列車で高松に引き返したが、昨日乗った高松行きの列車の車窓に、当時見た風景が重なった。

坂出で立ち客のほとんどが降り、その倍の乗車があって、通路まで満員となる。発車すると、大きな孤を描きながら高度を稼ぎ、建ち並ぶ瀬戸大橋の橋脚の間に吸い込まれていく。瀬戸大橋は道路と鉄道の併用橋で線路は高速道路の下に敷かれているため薄暗く、鉄骨も若干目障りだが、真横から下方向の眺望は問題なく、番の州の瀬戸大橋記念公園が窓下を流れると、列車は海上に出た。

海面までの距離に、あらためて瀬戸大橋のスケールを実感する。ところどころに小さな漁船が舫っているが、海面には渦潮が現れては消えているのが見えるから潮の流れは複雑だと思われ、気の抜けない漁だろう。雨は上がり薄曇りで、灰色の空の下、海の中に島々が浮かぶ瀬戸内らしい風景を味わうことができる。

それらの島の名前を知りたくて、普段は使わないスマホのGPS機能で地図上をトレースしながら、車窓の景色と画面を交互に眺めるが、そんなことをしてるのは私だけで、他の客は居眠りしてるかスマホの画面に集中しており、あらためて通勤電車に乗っているのだと実感する。

インターチェンジやサービスエリアが見えてきて、与島に上陸するが高度は変わらない。速度が若干落ちたように感じるのは騒音対策だろうか。

与島を過ぎ、岩黒島、櫃石島、その他名前のわからない小島に上陸、離陸を繰り返し、鷲羽山ハイランドの観覧車が見えると、岡山県に上陸。

本州最初の停車駅、児島に着くと向かい側に懐かしい車両が停まっている。首都圏では姿を消した通称かぼちゃ電車こと湘南色の115系が、マリンライナーの後を普通列車岡山行きとして追いかけるべく、発車を待っている。

乗り換えようかと腰を浮かせかけたが、通路側に座っている女性は寝てるし、児島からも更に乗車があり通路までギッシリ。網棚に載せたカバンと上着を取らねばならないし、などと考えていると、ドアが閉まり、かぼちゃ電車が後ろに流れた。残念だが、この電車の後を走ってきて岡山には12分後に到着することがわかったので慌てることはない。

茶屋町から単線の旧宇野線を進み、岡山には約5分遅れで到着。一旦改札を抜け、新幹線の空席状況を確認し、再び構内に入ると、先ほどのかぼちゃ電車が到着する時間になった。
ホームに入ってきた車両は雨に濡れて、オレンジと緑の塗装が艶めいている。

前面の行き先表示や尾灯はLEDに換装されているが、座席は直角、窓枠は四角の原形を保っており、車内の雰囲気は昔のままだ。車端部のボックス席に座ってみると、懐かしくもしっくりくる空間で、前回のかぼちゃ電車は昨年の正月に渋川から高崎まで幼なじみと乗った時だったなぁ、と思い出す。

岡山地区では、国鉄時代に作られた115系117系が主役級の活躍を続けているが、そのほとんどは黄色一色に塗り直され、かぼちゃ色の湘南色は2編成だけだそうだ。同じく国鉄時代の車両が幅をきかせていた広島や和歌山には最近、新型車両の投入が続いており、岡山地区にそうした流れが押し寄せる日も、そう遠くないだろう。

岡山駅には、こちらも国鉄時代から活躍し、懐かしい通称タラコ色を纏ったディーゼルカーのキハ47形も顔を出す。
こうした車両たちを乗り継いで、のんびりと中国地方を旅したいが、今日のところは東京に戻り、原稿書きに没頭せねばならない。

乗り込んだ「のぞみ」で、穴子の入った駅弁を食べながら、瀬戸内に別れを告げた。