背番号の話。プレイヤーにとっても、サポーターにとっても、背番号は重要なもの。

カズは「11番」にこだわっているし、中村俊輔は「10番」と、プレイヤーの象徴として背番号とはその選手の代名詞にもなりうるものだ。

 

ではチームにとってはどうだろう?

このチームの〇〇番は特別な番号!!というのがそれぞれのチームにあるのではないだろうか? Jリーグももうすぐ30年。紡いできた背番号の歴史は、チームの歴史でありJリーグの歴史だ。

 

 

前回に続き鹿島アントラーズの背番号について語りたい。

 

☆鹿島アントラーズの背番号☆

 

「2番」

前回は10番について書いたが、今回は「2番」を取り上げたい。

鹿島ぐらい伝統のあるクラブだと、大切な番号は一つではない。

 

 

まず鹿島の2番と言えば、ジョルジーニョだろう。W杯でブラジルの優勝に貢献した右SBだが、鹿島ではボランチをやっていたイメージが強い。1996年にはJリーグMVPにも輝いた選手だが、そのプレースタイルはよく覚えていない。1996年は僕はまだ小6で、観戦眼など皆無に等しかったころだ。

 

ジョルジーニョから背番号2を引き継いだのは、1997年にベルマーレ平塚から移籍した名良橋晃だ。加入当初はまだジョルジーニョが健在だったから32番→22番をつけていた。当時は32番という大きな番号は珍しくて、かっこよく感じたものだ。

その名良橋は攻撃的サイドバックの先駆者ともいうべき存在で、豊富な運動量を武器にサイドを駆け上がる姿は鹿島の風物詩だった。名良橋といえば深く切り込んでのクロスというよりどちらかと言えばアーリークロスの印象が強くて、浅い位置からDFラインとGKの間に入れるボールがうまかった気がする。1998年のW杯に出場し、ジーコジャパン発足当初も実は代表に入っていた。30歳すぎてもさらに成長する姿を見せた、THE・サイドバック。それが名良橋だ。

 

 

そしてその名良橋から2番を受け継いだのは、2006年に清水東高校から加入した内田篤人。内田といえば、どんなプレーをイメージするだろうか? 僕は気迫あふれる守備と迷わない判断力が内田の最大の武器だと思う。サイドバックの裏へ出たボールに対して全力で食い下がる。いつだったか、相手のサイドハーフの選手ともつれあってでも止める。スライディングで相手をぶっ飛ばすパワーも持っている。この気迫が最大の武器。

 

次に判断力。例えばカウンターを食らって数的不利な状態になったときを考えよう。自分はFWをマークしている。そこに相手のMFがドリブルでフリーで上がってきた。こんな時、判断に迷うだろう。しかし内田は一瞬の判断とスピードで、ボール保持者にタックルを仕掛けるような判断ができる選手だった。決めたら迷わない。果断に行く!!そんな思い切りのいい選手だ。

 

 

内田は2010年途中にドイツに移籍をして日本を離れたが、2018年から再び鹿島でプレー。キャプテンとしてチームを引っ張った。けがに苦しんだが、最終ラインからの素晴らしいフィードで伊藤翔のゴールをアシストするなど、健在ぶりを見せた。

2020年シーズン途中に惜しまれながら引退した。

内田もまた鹿島の歴史に刻まれるべき背番号2だ。

 

 

そして現在、伝統ある鹿島の2番は安西幸輝がつける。

安西は東京ヴェルディの下部組織育ちで、左右のサイドバックをこなせる選手で、簡単にはぶれない体幹の強さと、アップダウンを繰り返すスピード、スタミナが武器だ。

ポルトガルから帰ってきてますます逞しさを増したように見える。

 

 

2022年シーズン、過去の「2番」の選手のように鹿島にタイトルをもたらせるのか

注目したい。