初めて国内サッカーのネタを書きます。

背番号の話。プレイヤーにとっても、サポーターにとっても、背番号は重要なもの。

カズは「11番」にこだわっているし、中村俊輔は「10番」と、プレイヤーの象徴として背番号とはその選手の代名詞にもなりうるものだ。

 

ではチームにとってはどうだろう?

このチームの〇〇番は特別な番号!!というのがそれぞれのチームにあるのではないだろうか? Jリーグももうすぐ30年。紡いできた背番号の歴史は、チームの歴史でありJリーグの歴史だ。

 

 

今回は鹿島アントラーズの背番号について語りたい。

 

☆鹿島アントラーズの背番号☆

 

「10番」

鹿島アントラーズの背番号として、まず特別なのは10番だろう。

理由は言うまでもない。工場地帯の鹿島に強豪サッカーチームを生み出したレジェンド、神様ジーコが着けていた番号だ。ジーコが日本に来てから30年。僕がサッカーを観始めたのは1993年~だが、ジーコの存在、鹿島アントラーズの存在は奇跡のように思える。

 

ジーコの次はレオナルドだ。10番を身に着け華麗なテクニックでサポーターを魅了した。PA内でリフティングで相手DFを翻弄して最後は左足で決めたゴールは、Jリーグ特番では必ず取り上げられる、歴史に残るゴールだ。

 

そしてビスマルク。1997年~鹿島でプレー。「鹿島に来て良かったことは本田泰人にマークされないこと」と語ったこの司令塔。磐田と鹿島がタイトルを分け合う時代にの象徴だ。印象深いのはCSで決めたフリーキック。華のある選手だった。

 

2001年の磐田とのCS2戦目でビスマルクと交代でピッチに入った本山雅志。試合の流れを変えて、鹿島を年間王者へ導いた。まさに世代交代を印象付けるシーンだった。その翌シーズンの2002年から10番を背負った本山。若いころはスピードのあるドリブラーという印象が強かったが、年齢とともにプレーの幅を広げ、的確なポジショニングやパスでチームをけん引できる選手になった。2007年~2009年、3連覇をした鹿島はJリーグ史上最強のチームの一つに数えられる。最強・鹿島を象徴する10番が本山だった。現在はマレーシアでプレーしている。なかなか情報がないが、衰えない技術で活躍していると信じたい。

 

そして金崎夢生。負けん気が強く、「オレが、オレが」という気迫みなぎる選手だ。大分でデビューしたころはトップ下の選手だったが、鹿島では純粋なストライカーとして活躍していたように思う。ボールを持てば前を向き常にゴールを狙う。ギラギラした眼はまさに野生の狼だ。

ポルトガルのポルティモネンセから加入すると主力として活躍。まだ10番ではなかったが、2016年のクラブW杯準優勝の大きく貢献した。彼もまた印象に残る背番号10だ。

 

 

その後、安部裕葵を経て、2022年からは荒木遼太郎が背負うこととなった伝統の10番。荒木の実力は申し分ない。まさに鹿島の10番にふさわしいだろう。足元に吸い付くようなドリブル。ルーズボールへの反応。あっと驚くようなパス。彼はきっと海外に行ってしまうだろう。願わくはあと2~3年は鹿島でプレーをして、タイトルと移籍金を置き土産に海外に行ってほしいものだ。

 

 

ブンデスリーガブログだが、時々こんな感じで国内ネタも入れていきたい。