正式名は皇后島だったと記憶しています。
現在は長崎市小瀬戸町の埋め立て地に、
こんもり古墳のような形状で残っています。

歴史は古く明治35年(1902年)~昭和47年(1972年)まで
小中学生の水泳指導の場として市民に親しまれていた場所です。
夏が来れば思い出す♪って言うのは
夏が来ると長崎市の小・中学生は、木札を首からぶらさげて
大波止や戸町からねずみ島へ団平船(だんぺいせん)と呼ばれる
ポンポン船で渡ってましたね~。
この木札が乗船定期券と水泳の教習(正会員)券を兼ねていたんです。
このねずみ島での水泳指導は
「長崎遊泳協会」により行われていました。
日本泳法小堀流 踏水術を基本に
水泳の普及をめざした水泳道場です。

甲・乙・丙・丁という段位があって、
帽子の色と線の数によって
班分けされていました。
上位クラスは遠泳や、やぐら飛び込みもあり
早く上に進みたいとみんな一生懸命練習していましたね。
学校別ではないので、そこで友人が出来たりと
楽しかったです。
ねずみ島の名物行事と言えば「大名行列」です。
これに選ばれるのは大変名誉な事でした。
古式泳法をマスターしてないと
とても神輿を水中で担いで立ち泳ぎ出来ません。
島は子供達でいっぱいでしたね。
昔は学校にプールが殆ど整備されていなかったし
長崎市は特に夏場は水不足で断水するのが当たり前という状況だったので
とてもプールを設置出来る状況では有りませんでした。
そしてリトルリーグやらサッカー等のクラブチームとかは無かった時代です。
少年達はねずみ島で思いっきり泳ぐのが楽しみだったんです。
しかし、第二次長崎外港計画が策定され、
ねずみ島周辺も埋め立てられることになりました。
昭和47年(1972年)ねずみ島での水泳指導は終了となりました。
その後は長崎市民総合プールでの指導が始まりました。
長崎市教育委員会主催の水泳教室の指導を
長崎游泳協会が担当するという形での開催となったようです。
詳しくは長崎游泳協会HPでご確認下さい。
次男も小学生の頃、市民プールへ通ってました。
今年も小学生達の元気な声が市民プールにこだまする事でしょうね。