5年前の7月14日にお店を出した

 

 

開店前に全く告知はせず

 

SNSも手を付けす

 

この地なら何とかなると思ってた

 

 

開店したはいいがお客様はほとんど来なかった

 

ビジネスはそんなに甘くないと痛感

 

600軒あると言われている横浜の呑みの聖地「野毛」

企業数社のグループ店が多くを占め、

安売りも多いエリアでの営業はそう簡単ではなかった

 

しかもj-inAnが開店する5年前くらいに「野毛」がメディアに取り上げられそこから若者が増えた

ミドル~シニア層が集まる赤ちょうちん街から若者が集まる呑み屋街に変わっていった

その反動で家賃が爆上昇

メイン通りの路面店は個人では出せる価格ではない

仮にメイン通りでの空き物件予定地はそのまま企業に話がいきオープンになる事は殆どない

そんな町が「野毛」

 

・・そんな町で商売をする・・

 

焦って1万枚以上もポスティングを始めた

アナログ男だから足で奮闘したが・・

 

 

この時代にポスティングって・・やっぱり厳しかった

 

いつもの「何とかなる」精神で頑張るしかない

 

「何とかなる」は「何とかする」

 

開店3ヵ月しかたってなかったけど思い切ってコンセプトを変えた

 

静岡出身、コンセプトが一目で分かる、静岡ご当地飲食店は神奈川県に他にない、

大学生含め神奈川県在住に静岡出身が意外と多い・・など

 

そして

 

開店時は怪しい「BAR?」表記だったが「静岡ダイニングバー」に変更

 

 

それに伴い静岡グルメを中心としたメニューに一新した

 

これが最初の転機となったと思う

 

時代の流れには逆らえない

 

それから自分なりに頑張ってインスタを始めた

 

徐々にではあったけど新規客が増えてきた

 

そんな矢先・・・開店6か月目にあの「コロナ」が

 

それから2年以上「休業」「時短」の苦しい戦いが始まった

 

その最中に「1周年記念」を決行

常連客をご招待して盛大に盛り上がった

 

 

感謝しかなかった

 

何とか2周年を迎え

 

3年目、施設を借りて「クリスマスパーティー」に挑戦した

 

30名以上が集まり一応盛り上がった

 

 

3階建ての小さなビルの2F、少し急で決して明るいとは言えない狭い階段

 

垂れ幕も作った、階段も自力で明るくした、今の外看板は3代目

 

自分自身は現場に立たない分、それ以外での思いつく事は一応やってきた

 

試行錯誤しながら頑張ってきた3年間

 

徐々に売り上げも安定し

 

自身の中で色々思う事もあり

 

2023年7月1日に全ての運営を子供に託した

 

今は俺がお店で飲むことは殆どない

 

そして2024年7月14日

 

おかげさまで5周年を迎える事が出来た

 

子供とは

 

根本的な仕事の考え方もお店での取り組み思考も同じではない

 

そんな事から店にいると色々と「何故?」が目に入る

 

自分の性格もありついつい言いたくなってしまう

 

逆にストレスになる

 

 

この5年間、現場の切り盛りは子供

 

全ての運営を任せた事もあり

 

だから今日もお店には行かない

 

それで良いと思った

 

人生もビジネスも理屈ではない

 

j-inAn運営でそれら全てを学べば良いと思っている

 

で、俺からは数日前にこれを送った↓

 

飲食店の5年生存率は45%だという

 

<よく頑張りました🌸>

 

10年生存率は15%だったかな

 

10周年を迎えられるかな

 

「経営」とは「存続」

 

一人営業の最大の怖さは、

全ての行動を自分自身が判断しているという事

近くに指摘、叱る人はいない

「手間」を選ぶか「楽」を選ぶか等全てが自分次第

 

逆に褒める人もいないけど

自身の頑張りはお客様の数が示す

個人的には飲食店の喜びは毎日常連様で一杯の店内だと思っている

 

これからの5年がお店の真価が問われる事となる

 

真価・・「人」「料理」「環境」これに尽きる

ここに真剣に向き合えば「何とかなる」

 

そこに俺の存在はない、あってはいけないとも思っている

 

「何とかなる」は「何とかする」

 

「人生楽しく」「人生は自分次第」