(レクダンス)レクリエーションダンスの世界③ | みんなのレクダンスチャンネルーー福祉レクダンス&レクダンス(レクリエーションダンス)のBTRD

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みんなのレクダンスチャンネルーーイスに座って踊れる!福祉レクダンス(高齢者のダンス)そして一般のダンス普及を目的とし1978年より開発・活動しております。 全国でレクダンス体験や各種セミナーの実施、専用楽曲制作によるCD/DVD販売も行なっております。

 レクダンスが70年代から80年代にかけて若者たちの中に広まっていきました。前回書いたように原宿でも踊っていましたしディスコブームもおこりました。ここで押さえておきたいのはフリーダンスをしていたのではなく決まった踊りをしていたということです。そして長い振りではなかったことです。上半身の動きもかるくは在りましたがステップダンスでした。レクダンスでも一人の踊りが多くなってきました。

 社会教育などにもとりいれられ 青年学級 青年団などでもレクダンスがとてもよくおどられ愛好する人が多かったです。レクリエーション フォークダンスの関係のひとのなかから指導者というひとたちが現れていきましたか、きっと創作して行った人はこれまでつくったことのなかった人も多かったに違いありません。またそのころの踊りが 四拍子で例にとると 一小節が四拍 それが八小節で32拍 動きで行くと一つの振りが八拍 くらいで 四つの動きなり ステップをつくることで踊りが成立していました。それなので 踊りをつくることがそれほど難しいと思うことなく 初心者でも 踊りが下手な人でもつくることができるという敷居の低さが在りました。

 レクダンスの一つの特徴は自分たちでつくって楽しむことができるということでした。なのでそのころの若者たちの中にはそのころヒットしている曲に自分で振りをつくって踊ってみることに目覚めると霧中にな目人たちがたくさんいました。これは今の時代に比べるととても面白いことで素人のような人たちがつくって踊っていた時代でしたから。

 在る指導者はレクダンスも本来は日本の代表的な踊りにふりつけるのが本筋ですがいまはつくり方がまだなれていないので、すたれていくヒット曲につけるいうようなことを述べていました。でももうヒット曲につけることが本筋になって行ってしまいました。「カナダからの手紙]「ガンダーラ]「SOS」「迷い道]「春一番」ベストテンみたいです・

 そのころその若者たちがグルーブをつくりはじめました。BTRDが1981年に「みんなのレクダンス」という本をつくる時知っている限りのサークルの一覧をつくりましたが北海道から九州まで何十もの団体が挙げられていました

 レクダンスの運動をけん引してきた日本フォークダンス連盟も毎年新曲を発表しはじめ 巡回講習会を全国へ 指導者講習会を始めて指導者を養成し始めてきました。北九州のレクリエーション協会も創作コンクールをはじめ創作性のつよい独自のレクダンスを始めました。そして日本レクリエーション協会も含めレコードを出したり本をつくったりしました。BTRDも本を出しました

 在る意味レクダンスをだけを踊っている集団が出来 それを囲い込むことになって行ったのですが これがその後のレクダンスの方向性に非常に影響を与えることになるのです

 

つづく